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いる・こもんず 【普通名詞】 01| ありふれて変なもの 02| 扱いにこまる共有物 03| 分けても減らぬもの 04| 存在とは常に複数で他と共にあり、狂えば狂うほど調子がよくなる
はじめに、ふた、ありき

イルコモンズ編
見よ ぼくら
四人称複数
イルコモンズの旗
(Amazon.comで
大絶版廃刊中)
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▼生きることをやめる前に見ておいてほしいと信じられる劇
▼生きることをやめる前に見ておいてほしいと信じられる劇_d0017381_827364.jpg
サラ・ケイン作/飴屋法水演出の「4.48サイコシス」の公演をみてきた。見終わった直後の率直な感想として、まず思ったことは、次のひとことに尽きる。すなわち、今回の舞台は「万事不調な世界の(ほぼ)完璧な残酷劇化」だということである。「ひとことに尽きる」と書きながら、「完璧」ではなく「(ほぼ)完璧」と書かざるを得ないのは、実は開演後の最初の「15分間」を見そこねてしまったからで、見そこねた15分間をちゃんと見ていたら、留保なしに「完璧」と書いたかもしれないが、なにしろ最初の部分を見てないので、判断のしようがない。したがって、これは「不完全な感想」だという事をまずお断りしておく。見そこねてしまったのは、池袋で道に迷ってしまったからである(6:30に池袋駅に着いたのだが、道に迷い、舞台まで45分もかかってしまった)。参考までに書いておくと、「池袋」という街は、駅の「西側」になぜか、「東武」デパートがあり、「東側」に「西武」デパートがある、あの池袋のことで、今からちょうど10年前に「通り魔的な殺傷事件」があった、あの池袋のことである。そういう街で行われた今回のこの公演で、飴屋法水の「グランギニョル劇=残酷劇」が、演劇の最前線に完全復帰してきたことを確信した。毎年3万人以上が「自殺」し、凄惨な「通り魔殺人」が絶えない、このあやうい気象の国に、それは復帰してきた。「メンヘル」や「うつ」が流行する「薄明るい闇」のなか、誰もが「安全・安心」によりかかろうとし、思惑することもなく、信じるものものもない、この不具合の時代に、それは復帰してきた。しかも単独ではなく、当時、十代だった僕らや、当時二十代だった飴屋たちが見て、さんざんうちのめされてきた、寺山修司の「市街劇」や、唐十郎の「テント芝居」、太田省吾の「転形劇場」の、その最良の部分を背中にしょって、このまちがった状況に、それはもどってきた。ただいま、おかえり。「にんげんはここまでおかしくなれるのか、そしてそれでもなお、この身体は平然と脈を打ち続けるのか」という驚きとともに、それはもどってきた。おかえり、ただいま。そう、かつて僕らはそういう芝居をみて、生きのびてきたのだった。そういう芝居をみて、自分がくるっている・ただしいなどとはとても云えなくなり、そのたび僕らはまた右往左往しながら、生きのびてきたのだった。今回の公演をみて、生きるのをやめる前に誰もが一度は見ておいてほしい劇だと思ったし、そう信じている。もっと書きたいことはあるが、まだ公演中なので、いまはまだ書かないでおくことにする。

[追記1] 舞台が終わった後、飴屋さんに、ここに書いたような話をした後、「舞台をみていて、ふと「水の駅」を見ているような錯覚を覚えた」という話をしたら、「もともと今回の公演は「サイコシス」か「水の駅」のどちらかを演出してほしいという依頼からはじまったのだ」という話をきいた。なるほど、演出しなかった方の作品の何かがそこに残っていたのかもしれない。それと、今回のこの舞台をみながら、もしかしたら山川くんのおしりには本当に「黒いしっぽ」がはえてるんじゃないかと思うくらいの、すばらしい通り魔的メフィストぶりだった。あと、音響と照明のエンジニアリングも見事だった。特にヘッドライトの使い方とか。その丈夫なフィラメントは簡単にキレにくいのだ。

[追記2] 舞台が終わった後、「ばかにされてるような気がした」といってる若い男のコがいたが、たぶん映画版「エヴァンゲリオン」のあれとかんちがいしたんだと思う。

[参考] 「健康だ。日差しがいい。わたしはしあわせだ。とおもっているけど、その何軒かとなりのところに、どのくらい苦しい生き方をしているひとがいるか、死ぬほどのくるしい思いをして生きているひとがいるかもしれないし、世界全体の運命を考えてごらんなさい。そういうひとのことや、そういう運命を考えなければ、しあわせだ。ほんとうに人間の運命全体を考えたら、絶対、しあわせでありえないですよ。自分だけが運良く生きていられるなんていうことくらい、いやしいことはないんです。人間全体のために。だから、わたしはしあわせってことは反対なんです。だから、しあわせって云ったことはない。(岡本太郎)
by illcommonz | 2009-11-22 01:25
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