「22日(日)は、アクティヴィズム3.0シンポジウム 「〈ストリートの思想〉以降」。「ストリートの思想」の著者・毛利嘉孝氏と、カルチャージャマー集団RLLをゲストにお迎えしました。シンポジウムは、真っ赤なメガホンのサイレンが鳴り響くという物騒な始まりかた。普通じゃなかったのは始まりかただけではありません。ストリートのことを、ストリートで語るわけですから、机と椅子なんかありません。会場の真ん中に積まれた段ボールを各自持っていって分け合いながら、車座になって座ります。マイクも、もちろんありません。話すときは、拡声器!その光景は、外からみれば、道路を占拠してるように見え、集まっている人たちは、まるで自分が「自分たちの路上を取り戻している(リクレイム・ザ・ストリート)」疑似体験してるように感じます。
司会進行役の「いる」は、「ぼくらは、のねずみなので難しい話は苦手です。今日はみなさん、こどもにもわかるように話してください。」とはじめにいいました。なので、毛利さんも、RLLも、いらやだだっこもに、そんなふうに話をしました。(すべてのシンポジウムが、こうだといいなぁ~)
毛利さんの、自動車を所有することで「奪われるもの」「断絶してしまうもの」の話はとても興味深かったです。RLLのハーポ部長の「資本主義をオモチャにする」という言葉もわくわくしました。
「いる」は時折、お客さんの誰かが発言しないと話を進めないという、のねずみ的進行をしつつ、次第に、話す側と聞く側に分かれることなく、自分の思ったことを話す場になっていきました。
終盤、今や、すべての人が警察官や裁判官にさせられる時代だと毛利さんは言いました。人を孤立させ、他人を信じられなくさせることが、だれの安心と安全をつくるんだろうか?
最後の質疑応答で出てきた「アナ・エコ問題」も、かなり興味深いものでした。アナとはアナーキスト、エコはエコロジストのことです。両方とも、同じような問題に反対しているはずなのに、どうもお互いの行動はバラバラでつながっていないのはなぜだろう、ということ。
パンクとフォークは相容れない、みたいな感じなんでしょうか。「いら」が言うには、海外ではこういう棲み分けは無く、日本が特殊のようでした。うーん、うまくつながっていけばいいなぁ。このへんは、もっと考えていきたいことですね。あと、いるいらなかま特製の「はじめての美術批評ゲーム」をみんなでやってみました。目の前で自分たちの展示が批評されていくのは面白かった!(レポ:NEO DADAKKO)
▼activism3cream「
三連休イベントレポと、怒濤の今週末イベントのおしらせ」より