![]() はじめに、ふた、ありき
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![]() 「WHO'S STREET? OUR STREET!」(アクティヴィズム2.0時代のコール) 今から4年くらい前に「さよなら、落書きなき世界~街をノックする者を怖れているのは誰か?」という文章を書いた。それはこんな文章だった。 いる:「いま、怖れられ憎まれてるのは、もしかすると公園という場そのものじゃないかという気がするんだ。あの禁止の多さがなによりの証拠で、公園という場所自体が恐怖の対象になっているんじゃないかと思った。怖れてるからこそ、あんなに禁止が多いんだと思った。云うまでもないことだけど、公園は人が勝手にただで休憩し、余暇を楽しみ、自由に何かをする場所だ。だから、いってみれば公園は、資本主義のテリトリーとそのコードからはみだしたフリーゾーンで、資本や通貨の流れから外れた残余の場所だ。「帝国」の中に最後に残った野性の地だ。「帝国」の生活に塗れきってしまった僕らは、その最後の希望の地かもしれない公園という場の力を読み違えてしまって、それを怖れているんじゃないだろうか。これは微妙な感覚なんだけど、たとえば僕らは、ただでモノを手に入れることや、ただでモノを手にいれることに妙な居心地の悪さを感じるし、休憩や娯楽ですら、資本に管理された価格のあるものの方を求めるようになっている。あらゆるものにお金を払うことに慣れすぎてしまっていて、消費者根性とでも呼びたくなるような卑しさを身につけてしまっている。無償のモノのなかで生きる感覚や想像力をなくしてしまっている。そんな僕らは、ライセンスのないとりひきや、パッケージのないたべもの、レシートのない品物や、ビジネスのないつきあい、コピーライトのない歌や、イズムのない思想、マーケットのない努力や、プライスのないただのサービス、そういう資本主義生活のやりくり(エコノミー)から外れたモノや事件に囲まれた「野性の暮し」というものを想像することすらできなくなってしまっている。だから公園を怖れているんじゃないだろうか。」 こもんず:「やたらと“しまった”ばかりの多い、あまりすぐにはピンとこない話だけど、たぶん君のいうその“野性”というのは、野良猫とか野良仕事と云うときの“野良”の感覚に近いものなんじゃないか。野生や野蛮というよりも、インディペンデントという意味を多分に含んでいる“野良”ということばの方がより近いもののように思えるね。」 あのとき文章で書いたことを、30日間、動物になりすました仲間たちと一緒に、自分たちの目と耳と体で体験し、それが本当かどうかを確かめてみたかった。グラフィティもなければ、路上演奏もなく、カラスもいなければ、ネズミもいない、監視カメラと警察だらけの、エコエコハッピーで、クリーンなストリートの、いったいどこがよいのだろうか?「安心・安全」なのは、管理・支配する側にとってのものでしかなく、「安心・安全」を口実にした管理と支配は、ぼくら人間の「いきもの」としての「野良性」を殺し、家畜化するものだ。今回の展示で「殺すな」の旗と文字をふたたび掲げたのは、そのためだ。ストリートを殺すな。訪れた人の数はすくなかったが、なにもないストリートがどれほどつまならないものか、そして、どれほど殺風景であるかを再確認できた展示だったと思う。ということで、次にぼくらがやることは、もう決まっている。そう、次は、もっと、
by illcommonz
| 2009-12-03 02:12
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