はじめに、ふた、ありき
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「そう、かつては彼も、自らすすんで勝ち目のない戦いをたたかったのです。「隣人を愛せ」というきわめてシンプルな信条のために、そして、それがたたかうに値する唯一の大義だとそう云われた。憎悪にまみれたこの社会で、父も僕もそういうあなたを愛した。「失われた大義」のためにたたかい、命をかけたあなたを。みなさんは、僕の負けだとと思っているかもしれないが、それはちがう。僕はどこまでも勝ち目のないたたかいを続ける、欺瞞だらけのこの場所で。そうすれば、いつかは、だれかひとりぐらいは、僕の話を聞いてくれる...」 (「スミス都へ行く」より) 映画「キャピタリズム」(特に後半)をみながら、映画「スミス都へ行く(原題=Mr.Smith goes to Washington)」のことをずっと思っていた。「スミス都へ行く」は金融恐慌の後に制作された映画で、この時期のフランク・キャプラの一連の映画(「オペラハット」「素晴らしき哉、人生」)と同様、強欲な資本家たちが支配する無慈悲な社会に、主人公とその仲間たちが勝ち目のない戦いをいどみ、巨大な資本の力(その中にはマスメディアも含まれる)に徹底的にうちのめされながらも、やがてアメリカのデモクラシーの原点と人間としての良心をとりもどしてゆくという、ヒューマニズムの映画(「スミス都へ行く」では議会制民主主義の最もラディカルな形態でスミスが反撃を試みる)。映画「キャピタリズム」では、マイケル・ムーアがワシントンDCにある国立公文書館に合衆国憲法の原文をみにゆくシーンがある。これはスミスがはじめてワシントンDCに到着した日のそれを彷彿させると同時に、映画「ビッグワン」で「合衆国憲法にあるのは「人びと」という言葉で「株主」なんて言葉はどこにもない。この国はデモクラシーの国だ。僕たちが望めば、どんな法案だって変えることができる」と子どものような笑顔でそう述べていたマイケル・ムーアの姿を思い出させる。マイケル・ムーアの20年間に及ぶ孤軍奮闘のたたかいの総決算ともいえる今回の映画には、「失われた大義」のためにたたかってみせたジェフやジョンやベイリーたちの物語、そしてマイケル・ムーアの父親やフランク・キャプラの存在とそのたましいが息を吹き返してきているように思えて見えた。映画の物語はくりかえされる、最初はファンタジーとして、二度目はドキュメントとして。 マイケル・ムーアの映画に限らず、「ザ・コーポレーション」や「エンロン」などのドキュメント映画をみていると、アメリカというのは、巨大な人間の実験場のように思えてしまうことがある。そこでは、善も悪も、富も貧困も、堕落も繁栄も、悪党も善人も、悲劇も喜劇も、絶望も希望も、あらゆるものごとがつねに極端なかたちと規模で発現し、その極端な状況のなかで、人間は何を考え、何を思い、どのように行動するのかという人類の生体実験をみているような気がしてしまう。そして、そんなアメリカで実人生を生きるというのはどんな気分なのだろうか、特にクリーブランドやデトロイトでは、と。
by illcommonz
| 2009-12-24 15:12
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