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いる・こもんず 【普通名詞】 01| ありふれて変なもの 02| 扱いにこまる共有物 03| 分けても減らぬもの 04| 存在とは常に複数で他と共にあり、狂えば狂うほど調子がよくなる
はじめに、ふた、ありき

イルコモンズ編
見よ ぼくら
四人称複数
イルコモンズの旗
(Amazon.comで
大絶版廃刊中)
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▼「いま、宮下公園で何が起こっているのだろう?」
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 「NIKEパーク化問題」渦中の宮下公園について考えることは、地域とアートを考える上で重要なことだと考えています。実際、アート関係者に話してみると、みなさんこの問題に高い関心をもっています。しかし、なぜか、議論が表面化しません。そこで、いろいろな人からコメントをもらうことにしてみました。このコメントをきっかけに、いろいろな人が、それぞれの立場で、いろいろな場所で、考えたり、議論したりしてもらえるといいなあと思います。

▼いま、宮下公園で何が起こっているのだろう?

 そう思う向きも多いことと思い、外から見ると案外わかりにくいのかも知れないと、僕なりに整理してみました。もちろん僕から見えている範囲でしかありません。で、そこにはいくつかの視点やポイントがあるように思えたので、ひとまず列挙してみると、たくさんありました。あと、文末にコメントを少し。

1,「宮下NIKEパーク」計画に至る草案、立案、議会通過、
  業者選定、工事実施(現在直前)にいたるプロセスの不透明さ。

2,ただ漠然と、公園を有料化することへの躊躇や懸念。

3,野宿者、スケートボーダー、社会活動(デモ)の集合の場。
  それら同時排除の一挙両得(3得?)という名案のいやらしさ(あるいは品のなさ)。

4,全国に広がる地域ブランディングやまちづくり、
  一連の浄化政策のたんなるひとつ。

5,公園(公共空間)が、私企業の名の下に置かれることの不可解さ。

6,ネーミングライツそのもののなんだか妙に暴力的な感じと
  企業化を目指すかのような昨今の行政、つまりは公共性の劣化。

7,「公園」に集い、泊まる楽しさ。

8,洗練され、凝り固まったシステムのほんの少し外側の
  危なっかしくも優しくのどかな景色。(公園の占有)

9,アートや表現のありかのひとつ、としての日常。

10,寒い春の雨の中、公園のキャンプに集い「みんなの公園」にまつわる
  あれこれについて、暮らしながらも考え続ける人々の姿。

11,最近、音楽の演奏が禁止されたという代々木公園。
  最近、人が集い音楽が始まる宮下公園。それらの対比。

12,無反応なマスメディア(東京新聞の記事がひとつだけ)

13,非暴力的直接行動のおおらかで、素朴な人間性。

14,屋外で共同生活するための技術や工夫のあれこれ。

15,A.i.r. in Miyashita blog の優れたアナウンス、そしてツィッター。

16,賛同的フォロワーの少なさ。(村上春樹の「壁と卵」を思い出す)

17,訪れるアーティスト、ミュージシャン、クリエーターと
  訪れない、もしくは躊躇する表現に携わる人々。

18,NIKEとの連携が、高度な行政経営だと思っているようにみえる
  区議会および追従する区長。

19,公園に居続けることの寒さと疲れ。

20,次々、繰り広げられるイベントの背後にある
  数々の知恵と軽やかなマネジメント。

21,いまだ、NIKEをかっこいいと言えるそのセンス。

22,静かに「機会」を見定める渋谷区職員。

23,法律の前に僕らがいるのか、法律の後に僕らがいるのか。

24,できる限り、手づくりでなされようとする運動。

25,http://www.ourplanet-tv.org/?q=node/351

26,警戒と寛容。緊張と緩和。その両極の同居。キャンプする人たちは警戒している。当然だ。
  夜中に見ず知らずの誰かが、テントを蹴るんだ。でも同時に「開こう」と最大限の努力をしているように思える。

27,TAZ(Temporary Autonomous Zone:一時的自律ゾーン)とはこれか?!

28,みなさん。一度、泊まってみるのはどうですか?

29,海外の活動家が撮影したドキュメンタリーが、すでに2万アクセスを超えているという事実。
  http://www.youtube.com/watch?v=DRo6Hedpeew

30,この1件にかかわる女性たちの多さ。(僕の偏見か?)

…きっと、まだまだあるような気もします。

で、ふと。飛躍しますが。

 戦前はもちろんのこと、戦後のどさくさ、60年代、70年代を過ごしてきた大人たちには、さまざまな状況においてその都度、個人や群衆が、いまの世間が言いそうなところのいわば「愚かな行為」に走るその姿を見て、おそらくなんらか学習したのだと思う。そして、そのおかげで備わった「知恵」をもとに思慮深く、今回の「宮下NIKEパーク」の一件についても「冷静に考える」ことが可能なのだろうと思う。

 でも、高度成長、バブル、そして金融資本主義の狂気乱舞が続く大波に乗ると同時にコミュニティが崩壊したとされるこの現世に育まれた、もはや「大人となってしまった者たち」である世代のぼくらにとっての景色は少し異なり、すでにそのような「知恵」を自ら見いだし、学習する機会すら失われ、ただただ萎縮しているような状況に思える。

 本来的には社会を構成する一員として、個々それぞれが所属する小さな社会・コミュニティでの意見交換や合意をもとに、いま目前に起こる事象についてたとえつたなかろうが、のびやかになんらか発言・行動して良いはずなのであって、そうやって嫌なことは嫌と言い、必要とすることを必要だと声高らかに謳うことは、人間としてごく自然な行為のような気がするし、そういった行為そのものに世論は目を向け、耳をそばだて、ひとまず聞き入るはずじゃなかったのか。

 ところがそれがなぜかできない、あるいはしにくい状況があり、ただ傍観する風潮がある。もちろんそう言われて久しく、いまに始まったことじゃない。

 つまりは、本来あるはずの僕らの自発的な行為そのものが、なんだか「妙に洗練された社会」に忌み嫌われ、回収され、いわばわたしたちの手もとから奪われている現状、そして知らぬ間にするりとなにかに置き換えられ、だれもが社会を「生産と消費」以外の力で構成するなどということはあり得ないかのように認識される時代、それが現代なのだろうか。そしてそれはそこらじゅうのあらゆる社会問題に隣接してある。あちこちに。でも、そんな社会、いったいどこの誰が描いたんだろう。

 そんないま、「宮下NIKEパーク(予定地)」という公園=公共空間(メディア)をさまざまな立場の人々が囲みはじめたことをきっかけとして、個々それぞれに感じること、感じたいこと、考えたいこと、表したいことが山盛りある僕らに、もはやじっとしてなんていられなくなるような感覚が芽生えた。実際、この歴史的に寒い春の雨降る今夜も、宮下公園のブランコのまわりにひと握りの人々が連日キャンプし、ひと握りの人々がときどき顔をのぞかせ、なんらか応援し、あるいは関心を寄せていく。そこでは上映会、ワークショップ、コンサートなどが次々無料で催され、それはまるで映画で見たヨーロッパの片田舎のまちの広場のようにも思えてきて、その状況を渋谷で展開するということ自体がもはや奇跡的ですらあり、同時にそれは集団でなにかを丁寧に編んでいる瞬間のような神々しささえ帯びてくる。

 そう感じ、思うのは何か間違えているのだろうか。もしよければみなさん各自確かめて欲しい。というのも、ぜひこの状況がなんらか沈静する前に足を運んで欲しいし、もし行くことがあったならば、そこに立って、この一連の先の「結末」の景色をひとり想像してみて欲しい。僕らはどうなるんだろう。いや、どうしたいんだろう。

カイケンジ(remo)
http://www.remo.or.jp/ja/

▼「横浜下町パラダイスまつり*よこはま若葉町多文化映画祭」より全文無断転載
http://downtownart.hama1.jp/e838971.html
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by illcommonz | 2010-04-29 05:39
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