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いる・こもんず 【普通名詞】 01| ありふれて変なもの 02| 扱いにこまる共有物 03| 分けても減らぬもの 04| 存在とは常に複数で他と共にあり、狂えば狂うほど調子がよくなる
はじめに、ふた、ありき

イルコモンズ編
見よ ぼくら
四人称複数
イルコモンズの旗
(Amazon.comで
大絶版廃刊中)
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▼反乱のレッスン

▼イルコモンズ編「映画「リクレイム・ザ・ストリート」短縮版」(9分58秒)

「世田谷市民大学」の「60代が19人、70代が16人、80代が7人、その他が10人」のクラスのために編集した「反乱のための教材」。「NO LOGO」から抜粋したナオミ・クラインのテキストにそって、映画「リクレイム・ザ・ストリート」(1998年※日本未公開)を10分に圧縮。シアトル以後のストリート系アクティヴィズムの「複数の原点」のひとつ。2003年の「サウンドデモ」のモデル。二〇世紀のマイ・フェイヴァリット・ドキュメント・ムービー。ドラムを打ち鳴らしながら人びとが街に集まってくるシークエンス(5分11秒~)は何度見てもわくわくするし、心が騒ぐ。反乱はいつもこんなふうにドラムの音からはじまる。6分23秒目からはじまるシークエンスには、権力がもっともおそれる「解放の瞬間」とその場の空気感が見事に映りこんでいる。「解放」というとき、いつもまっさきに頭に浮かぶのは、この映像。2003年のサウンドデモで、一度だけ、ほんの一瞬だったけど、これと同じ光景のなかに居合わせることができた。そのとき「生きててよかった」と心の底からそう思った。カオスはそれを抑圧するものとせめぎあうときに最も輝く。たぶん60代になっても70代になっても80代になっても、あの瞬間のことは忘れないと思う。そして、60代になっても70代になっても80代になっても、あの解放感を求めて、路上に出てゆくような気がする。たとえ人がそれを「暴動」と呼ぼうが、なんと呼ぼうが、デモクラシーはカオスのなかで花ひらく。

以下、ナオミ・クラインのテキスト。

「1994年、イギリスではCJA(クリミナル・ジャスティス・アクト)法が可決され、レイヴ・パーティーは違法行為になってしまった。この法律のために、野外で音楽を鳴らすと機材が押収され、あらゆる公共の場でレイヴァーたちが取り締まりをうけた。この「CJA法」とたたかうため、クラブ・シーンは、警察権力に同様の脅威を感じていた政治的なサブ・カルチャーと新たな協力関係を結ぶことにした。

1995年にはじまった「リクレイム・ザ・ストリート(RTS)」は、自発的に集まったグループが、大通りや交差点、幹線道路をハイジャックし、そこを「シュール・レアリストたちの遊び場」に変えるものだった。レイヴと同様、RTSのパーティーの場所も、当日まで秘密にされる。何千人もの人びとが指定された場所に集まり、そこから数人の関係者しか知らないパーティーの場所まで一緒に移動する。とりもどされる予定のストリートには、強力なサウンドシステムを積んだバンが停車している。次に演劇的な手法で交通が遮断される。例えば、二台の古い自動車がわざとぶつかって、ドライバー同士が喧嘩するふりをはじめる。あるいは、道路の真ん中に6メートル近い大きなトリポッド(=三脚)を立て、勇気のあるアクティヴィストが宙吊りになるという方法がある。この三脚で自動車は通れなくなるが、人は自由に通れる。これを倒すと、宙吊りになった者が地面に叩きつけられてしまうため、警察も黙って事態を見守るしかない。

交通が完全に遮断されると、「ただいま、路上解放中」が宣言され、一斉に「ひと休みしよう」「自動車はいらない」「空間をとりもどそう」といったプラカードがかかげられる。カラフルな背景に稲妻の光が走るRTSの旗がかかげられ、サウンド・システムから最新のテクノから、ルイ・アームストロングの「この素晴らしき世界」まで、ありとあらゆる音楽が流される。そして、RTSの移動式カーニヴァルがはじまる。自転車や竹馬に乗る者、レイヴァーやドラマーたち、また別のパーティでは、ジャングル・ジムが交差点の中心につくられ、巨大な砂場やブランコ、プール、ソファー、カーペット、バレーボールのネットなどが路上に登場した。たくさんのフリスビーが宙を舞い、無料の食べ物が配られ、車の上やバス停、看板の上やそのまわりでみんなが踊った。

RTSは「ラディカル・エコロジー」の表現と戦術を使って、都市のジャングルのなかに、「商業化されてないスペース」をつくりだす。つまり、RTSは「ビジネスに支配されていない社会とはどういうものか」を示してみせたのだ。

この精神がもっともよくあらわれていたのは、1万人がロンドンのM41号線をのっとったイベントだった。9メートルの巨大なスカートつきの足場の上に二人組みが陣取った。そばにいた警官は、スカートの下にゲリラ・ガーデナーがひそんでいて、道路に穴をあけて植物の苗を植えていたことに気づかなかった。RTSは主張した。「コールタールの下には森がある」

RTSによる都市の環境運動がはじまったのは、1993年のクラレモント通りからである。ロンドンにあるその閑静な通りは、新しい高速道路建設のために消滅しかけていた。市当局が住民の強い反対をあっさり無視すると、アクティヴィスト・アーティストたちのグループは、ブルドーザーをブロックし、クレアモント通りを生きた彫刻の砦に変えてみせた。道路の上にソファーをおき、木の枝にテレビを吊るし、道路にチェスボードを描き、とりこわし予定の家の前に、ふざけた広告看板をたてた。ジョン・ジョーダンによれば、「これは政治的な目的のためにアートを利用したのではなく、アートを、美しくかつ機能的に、実践的な政治のツールに変えてみせた」のだという。

1997年4月には、トラファルガー広場に2万人が集まったが、もうそのころには、RTSのパーティーは、シドニー、ヘルシンキ、テルアビブなど、外国でも起きていた。パーティーは、MLやウェブサイトを使って、それぞれの土地ごとに独自に組織される。リンクをたどってゆけば、世界中のイベント情報を知ることができる。そこには、警官をうまくかわす方法や、効果的にバリケードをつくる方法などがあり、そのポスターやチラシ、フライヤーなどをみることができる。

ほとんどのメディアは、RTSを「アンチ自動車の抗議運動」ととらえた。しかし関係者は「そうではない」と云う。たしかに車は、公共空間や歩道や自由な表現の場の消滅の、いちばん分かりやすいシンポルではあるが、RTSは単なる自動車への反対運動ではない。ジョーダンはこう云う。

「RTSは車と交通の問題を通して、もっと広い意味での社会問題を考えようとしている。
人間として自由に使える空間をとりもどしたいのだ」と。

このストリート・パ-ティーのおかげで、政治運動とポップな文化が混じりあった。10代から20代の多くの若者たちにとって、これははじめての経験だった。そこでならば、社会や環境に対する政治的な関心を表に出しても大丈夫で、しかもコミック番組のキャラクターのような存在でいることもできた。RTSは、とにかくおもしろく、そしてアイロニカルなので、真剣にやっても、ちっともはずかしくないものだったのだ。

自発的なストリート・パーティーは、D.I.Y.のライフスタイルの延長である。誰かから許可をもらわなくても、また、企業がスポンサーでなくても、自分たちのやり方で楽しむことができる。ストリート・パーティーでは、みんなが参加者であると同時に、エンターテイメントの一部になることができるのだ。

1998年、世界で最初の「グローバル・ストリート・パーティ」がひらかれた。このイベントが持つ政治性が見失われることのないように、グローバル・ストリート・パーティの開催日には、1998年5月16日が選ばれた。これはG8諸国のリーダーたちがサミットのためにバーミンガムに集まる日である。この日、20ヶ国で30ものRTSのイベントがおこなわれた。このグローバル・ストリート・パーティーで、最も成功したのはシドニーだった。3~4千人が道路を占拠し、路上に3つのステージをつくって、バンドがライヴをやった。イベントは「アートと愛と反乱」を祝うものだったが、警察はそれを「暴動」とみなした。

いくつかの都市でのパーティーは、ジョーダンが思い描いていたような「永遠の祭り」ではなかったが、ほんのわずかなメールでの呼びかけからはじまった、この国際的なひろがりを持った反応は、「公共空間の消失」に対するグローバルな抗議の声の存在を明らかにした。

その感情は、1998年5月16日、グローバル・ストリート・パーティーの本部が置かれていたバーミンガムで最高潮に達した。巨大な凧に吊るされたバナーが空にあがり、そこには、この日、パーティーをひらいた世界20ヵ国の都市の名前が記されていた。そして、あるプラカードには、こう書かれていた。

「この抵抗は、資本のように、国を超えてひろがるだろう」
by illcommonz | 2010-05-26 01:50
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