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「美術評論家の針生一郎さん死去 前衛芸術批評」
「反権力の立場から前衛芸術批評を手がけた美術評論家で、「原爆の図 丸木美術館」(埼玉県)の館長も務めた針生一郎(はりう・いちろう)さんが26日、急性心不全で死去した。84歳だった。美術家の岡本太郎や文学者の花田清輝、安部公房らによる前衛芸術の研究会「夜の会」に参加。戦後の芸術運動の最前線で活躍した。美術のほか文学の評論も手がけた。軍国少年だったことへの反省から、民衆の側に立った歴史と平和を探る思想を模索。戦後、日本共産党に入党したが1961年に除名された。70年の大阪万博では、万博に反対する運動に参加。第三世界の芸術家との連帯を目指す活動でも知られた。68年にイタリアの国際美術展ベネチア・ビエンナーレの日本館コミッショナー、99~08年、美術評論家連盟会長。和光大学名誉教授。著書に「針生一郎評論」全6巻、「戦後美術盛衰史」など多数。」(朝日新聞 2010年5月26日)
なにかと敵の多い人物だったと聞いているが、個人的には、2001年の911の直後に、なにかのシンポジウムできいた、終戦の日の夜の話が印象に残っている。あとは映画「日本心中」や「十七歳の風景」での語り部の役として。はたして語り部は、記憶のすべてを置いてゆけたのだろうか。いまはむかし、前衛芸術家が「思想的犯罪者」とよばれていた時代、批評家と作家のあいだには緊張関係があり、批評家は挑発者であり、かつまた共犯者でもあった。されど、解体劇の幕は降りて、いまはむかしのはなしになりにけり。