「クリフォードさんは「人類学の周縁」という本のなかで
「人類学者というのは作家や詩人になりそこねた人たちなのです」と書いてますが、ぼくは「人類学者になりそこねたアーティスト」です。
相手が誰であれ思ってることをつい口にだしてしまうイルコモンズ。もう二度と会うこともないだろうからと思い、
ここに書いてたことを、質問のかたちにして、クリフォードになげかけてみた。質問はだいたいこんな感じ。
「人類学者であれば誰しも「アームチェアのアンソロポロジスト=ひじかけ椅子の人類学者」とだけは呼ばれたくないものですが、それはアクティヴィストも同じで、「アームチェアのアクティヴィスト」というのはあり得ません。さて、ひじかけ椅子の批評家であるクリフォードさんは、たとえば、ミュージアムの改装や展覧会の企画をご自身で手がけられる意志や予定はありますか?」
このぶしつけな質問にクリフォードは気をわるくするかもしれないなと思いきや、「アームチェアのアクティヴィスト」という造語がツボにはまったようで、そのあとのやりとりで、こんな感じの回答がかえってきた。
「たしかにわたしは「アームチェアの知識人」であって、グラムシのいう「(有機的)知識人」ではないかもしれません。ただ、もし仮に「アームチェアのアクティヴィスト」がいたとしても、アクティヴィストでないよりはずっとましだと思いませんか。わたし自身についていえば、私はいつも「ヴィジター=訪問者」でありたいと思っていますが、スペースエイジの時代には「旅するひじかけ椅子の人類学者」(笑)というのも可能な存在かもしれません。もし自分がもういちど生まれてくることができるとしたら、人類学者になりたいと思っています。」
この質問が呼び水になったのか、セミナーの最後は、米国政府の新自由主義政策と世界覇権に対する(「アームチェアのアクティヴィスト」としての?)クリフォードのかなりストレートな批判がとうとうと述べられ、予定よりも25分オーバーで終わった。セミナーの後、満面の笑顔で、質問に対する礼をいわれたので、まんざらわるい質問/挑発ではなかったのかもしれない。