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いる・こもんず 【普通名詞】 01| ありふれて変なもの 02| 扱いにこまる共有物 03| 分けても減らぬもの 04| 存在とは常に複数で他と共にあり、狂えば狂うほど調子がよくなる
はじめに、ふた、ありき

イルコモンズ編
見よ ぼくら
四人称複数
イルコモンズの旗
(Amazon.comで
大絶版廃刊中)
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▼白川昌生×イルコモンズ公開対談「〈帝国〉の時代のアート」
▼白川昌生×イルコモンズ公開対談「〈帝国〉の時代のアート」_d0017381_3204964.jpg
▼対談「〈帝国〉の時代のアート」
[日時] 2010年8月1日(日) 18:00-
[場所] 東京・新宿 Cafe★Lavanderia
(新宿区新宿2-12-9 広洋舎ビル1階)
[出演] 白川昌生(美術家)/イルコモンズ(元・現代美術家)
※入場無料
[主催] 模索舎

 「イルコモンズ氏のインタヴュー記事(「〈帝国〉のアートと新しい反資本主義の表現者たち」)に刺激を受け、私は疑問を持ったり考えたりしながらここまで書いてきた。イルコモンズ氏自身は、現在は「美術家を廃業したアーティスト」として活動しているラディカルなアクティヴィストである。彼にとって、「美術家」という言葉は、これまでの「職業としてのアーティスト」を意味している。そして「職業としてのアーティスト」とは、社会的政治的問題からは隔絶した美術市場の中に住み込み、美術以外のあらゆる問題に無関心に制作活動を行うアーティストの謂いだと考えたからこそ廃業したのであろう。しかし、ある自覚をもって活動してゆく「美術家」を「技能的実践家としてのアーティスト」と読みかえることは不可能だろうか。私は可能であると考えたい。」(白川昌生『美術館・動物園・精神科施設』より)

 かって、アラン・カプローが云ったように「美術家をやめて失うものなどなにもない、職業以外は」。「専門職としての美術家」を廃業すれば、そうしたよみかえも、転身も、いくらでも可能だと思う。いい機会なので、2009年のリーマン・ショック以後、つまり「帝国のたそがれ」以後、「A3展」(2009年)や「冬眠」(2010年)を経て、いま現在進行形の実践/実験(「ストリートの思想家」から「技能的実践家」へのシフト、「新しい反資本主義の生活者」「自宅スクワット」「ポリティカル・ガーデニング」などなど)のことを少しだけ話してみようと思う。

▼白川昌生×イルコモンズ公開対談「〈帝国〉の時代のアート」_d0017381_3264330.jpg
▼「〈帝国〉のたそがれの時代のアート=アクティヴィズム」
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【対談のための参考文献】

▼白川昌生『美術館・動物園・精神科施設』(水声社)
http://www.suiseisha.net/blog/?p=1147

▼イルコモンズ「〈帝国〉のアートと新たな反資本主義の表現者たち」(※全文掲載)
http://d.hatena.ne.jp/araiken/20100603/1275529772
(※提供:ブログ「ガレージセール」 全文掲載されてるのでコピー&ペーストし放題です)

▼イルコモンズ「見よ ぼくら 四人称複数イルコモンズの旗」(※全文掲載)
http://illcomm.exblog.jp/2896880/
http://illcomm.exblog.jp/2897194/
http://illcomm.exblog.jp/2897216/
(※提供:ブログ「イルコモンズのふた。」)

▼イルコモンズ「すべての人はアクティヴィストである
~リーマン・ショック以後の「拡張されたアート2.0」に向けて」(抜粋)
http://illcomm.exblog.jp/10255594/

▼白川昌生×イルコモンズ公開対談「〈帝国〉の時代のアート」_d0017381_1524764.jpg
 「ご存知のとおり、私は自然科学の勉強をはじめました。そして、次のような認識に達したのです。私は私自身に云いました。「おそらくお前の能力はある分野でのすぐれた専門家になるというのとはちがう何かべつのものに向いている」と。「お前にできることは人びとが義務として負っていることに対して幅広い刺激を与えることなのだ」と。」(ヨーゼフ・ボイス)

▼白川昌生×イルコモンズ公開対談「〈帝国〉の時代のアート」_d0017381_326264.jpg
 「近代社会の中で成立してきた「職業としてのアーティスト」という概念ではなく、文化の専門家としての、「技能的実践家としてのアーティスト」という概念の方が、現在の社会においてはより有効だと思える。「英雄としてのアーティスト」のイメージが、並外れた偉業、妙技、勇気、忍耐、卓越、才能などといった概念とともに、個人に集中していくのに対して、日々の生活スタイルを支持、維持してゆくありふれた活動や、非個人的な共感覚の共有、遊びといったものの「技能家としてのアーティスト」のイメージの方は、社会形成のダイナミズムをより深い所から活性化させ、多様化させる方向へとよりかかわってゆくことになる。そこでは、日常生活の祝祭的な側面が強調され、感性的、身体的手段によって人々との共働的社会的絆を再生させる仕事の一部をアーティストが積極的に引き受けることになるのだ。



 参加、経験、共働することによって発生してくるパフォーマティヴな場がアーティストの活動の場であるとするならば、そこで英雄的な行為ではなく、贈与の行為のような日常的な領域でだれもが行なえることを率先してさまざまにやってみせるその意味での文化活動の専門家がアーティストということになるだろう。
 ここまでアーティストというものを拡大して考えてくると、近代芸術の中で作られてきた「英雄としてのアーティスト(芸術家あるいは美術家)」という概念は、既存の芸術の制度とヒエラルキーのなかに安住するものにしかみえなくなってしまう。そうしたなかで、前衛とか反資本主義と言ったところで、わずかな時問のうちに市場、制度にくみこまれ、正統化され、歴史化され、消費されて終わることになるそうした歴史を何度、見てきたことだろうか。それゆえにあえて、再度、絵画や彫刻的なものの可能性を問う必要も意味もあるのではないか、と私は思っている。
 それに対して、「技能的実践家としてのアーティスト」の場合は、既存の制度、概念、ヒエラルヒーから逸脱しており、神話化されることもなく、日々の事象の中をくぐりぬけてゆくそのパフォーマティヴな行為、作品、姿勢が、贈与として周囲の人々へ手渡されてゆくことになる。



 アクティヴィズムという活動をどう定義すべきか、さまざまな議論のあるところだが、かりに、「反資本主義の立場に立つ表現者たち」と大きく定義するとすれば、先ほどのトライバル系の表現者たちから、ホームレス支援活動のビラを作る人、〈ユーチューブ〉でパレスチナ支援を画像で訴える人、無人化した商店街でアート・カフェを営む人、過疎化した山村に住んで大型資本による開発に反対する人、有機農法を実践しながら地元のアーテイストを支援する人、北方少数民族資料館の人たちなどまで、それこそいたるところで、さまざまな目立たない形ではあるが活動している無数の、無名の人々をも、広義のアクティヴィストとよべないだろうか。まさに「多様な表現の技術・芸術(アート)」のフィールドがあるのではないだろうか。
 現実に生活、地域、労働、自然、環境が活性化し、ともに希望を共有して生きていくことができるということが一番求められていることなのだ。イルコモンズ氏の言う、現状への「いたたまれない気持ち」を共有できる人々、領域が当然ながら芸術をこえてひろがっていく可能性と必然性を、今の社会は持っている。この「いたたまれない気持ち」を持たざるをえないような事象が、農業、林業、漁業、介護、医療、教育、サービス、建設、土木、政治、法律、芸術等々、今日の社会のいたるところに存在していることを無視することはできない。」白川昌生『美術館・動物園・精神科施設』

▼白川昌生×イルコモンズ公開対談「〈帝国〉の時代のアート」_d0017381_1533766.jpg
 「アートとアクティヴィズムのあいだ」の実践においては、それぞれの領域を担う技術とその全面的な開花を中心に出来事が形成されている。そこでは「一人の天才.でなく「無数の凡才」が号令する。あるいは言い換えると、ここでは出発点は─天才と凡才の区別が成立しない─万人の単独性以外ではない。そこでは企画、意匠、分業の形態に至るまで、合議制によって実践されている。まさにこの実践領域においてこそ、未来に向けた新たな生産=闘争形態が実験されている。それは異なった社会的技能が交流する場であり、それらを繋いでいるのは「商品化されない労働」=「解放された労働」への熱い希求である。現今の社会制度においては、この労働は、経済的に真っ当な報酬を与えられていない故に、制度的に「解放」されているわけではない。だがそれを目的因として歴史の終わりに到来するだろう解放の日まで持ち越すのでなく、いま・ここで押し通すこと─その決定において「自己解放的」なのである。」(高祖岩三郎「アートとアクティヴィズムのあいだ─あるいは新しい抵抗運動の領野について」)

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[追記] うっかりしてました。「冬眠中」にこの本がでてました(もう半年も前だ)。

▼白川昌生×イルコモンズ公開対談「〈帝国〉の時代のアート」_d0017381_3313298.jpg
▼水戸芸術館現代美術センター編
「BEUYS IN JAPAN ヨーゼフ・ボイス よみがえる革命」
A5判/224ページ/2,600円+税
「環境問題、経済危機……バブル前夜の東京に、8日間滞在したドイツの現代美術家ヨーゼフ・ボイス。四半世紀を過ぎたいまの日本に、ボイスのメッセージがアクチュアルによみがえる!ボイス来日に関わった関係者の証言や写真、現代においてボイスを読み解く気鋭の論考などを収録。また、ボイスを読み解くキーワード解説、ボイス関連年表を加えての豪華本です」

[目次]
 「1984年、東京に現れたヨーゼフ・ボイス」(安齊重男)
 「2009年、ボイスと日本を再検証する」(松蔭浩之)
 「今こそ、ボイスの思想が必要だ」(坂本龍一)
 「祈りの残影――1984年のヨーゼフ・ボイス、日本」(高橋瑞木)

 「ドイツ現代思想におけるヨーゼフ・ボイス」(仲正昌樹)
 「ヨーゼフ・ボイスのユートピア思想」(山本和弘)
 「神話と創造――西武セゾン文化とヨーゼフ・ボイス」(毛利嘉孝)
 「すべての人はアーティスト=アクティヴィストである」(イルコモンズ)

 「ニューヨークで本当に起こったこと」(レネ・ブロック)
 「ボイスの作品を展示すること、解読すること」(オイゲン・ブルーメ)

 「アクションはどのように継承されるべきか」
 (椿昇|白川昌生|小田マサノリ/イルコモンズ)

[インタビュー] 宮島達男|長谷川祐子|三島憲一|針生一郎|和多利恵津子|若江漢字|若江栄|泉秀樹|石原恒和|畠山直哉|桝山寛|今野裕一


「著述家廃業宣言」前に書いた最後のテキストの一部(全文は未公開)とシンポジウムでの報告が掲載されてます。
by illcommonz | 2010-07-31 03:33
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