
ねむってるときにみる夢にはだいたいろくな夢がない。起きてみる夢のほうがずっといい。たとえば、「ほんとうの民主主義の社会」や「もうひとつの可能な世界」、「みんなの公園」や「ゆかいな楽団」なんかを、目をあけたまま夢みているときの方が、身も心もずっと安らかになれる。そもそも人間という「いきもの」に、「生きる理由」というものが存在するのかどうかは知らないが、明日も、あさっても、またその次の日も、「さて、ところで、今日はなにをするんだっけ?」と目をさまし、息を吸ってたり吐いたり、食べたり飲んだり、すべったりころんだりのくりかえしである「生活」をしつづける理由は、目をあけたままみる夢のつづきをみるためなのだろうと思う。