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いる・こもんず 【普通名詞】 01| ありふれて変なもの 02| 扱いにこまる共有物 03| 分けても減らぬもの 04| 存在とは常に複数で他と共にあり、狂えば狂うほど調子がよくなる
はじめに、ふた、ありき

イルコモンズ編
見よ ぼくら
四人称複数
イルコモンズの旗
(Amazon.comで
大絶版廃刊中)
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▼ナイキ広場とナイキ公園:文化人類学解放講座
▼ナイキ広場とナイキ公園:文化人類学解放講座_d0017381_212835.jpg
明日の「文化人類学解放講座」では、米国のグローバル企業ナイキ社(スポーツ用品製造販売会社)が、これまでの講義でとりあげてきた「スウェットショップ(別名、奴隷工場、搾取工場)による生産システム」以外に、世界のさまざまな場所でひきおこしている社会問題について考えます。まずはじめに、2003年の夏、オーストリアのウィーンで起きた「カールス広場」の「ナイキ広場化計画」を紹介します。

▼ナイキ広場とナイキ公園:文化人類学解放講座_d0017381_231182.jpg
[概要] 2003年の9月「ナイキ社がウィーンの街路と広場を買収」というニュースが世界中にひろまった。この買収により、ウィーンの観光名所のひとつである「カールス・プラッツ(=カールス広場)」が「ナイキ・プラッツ(=ナイキ広場)」と改名され、カールス教会やウィーン国立オペラ劇場など、歴史的建造物が立ちならぶ広場の一角に、ナイキ社のロゴであるスウッシュをかたどった巨大なモニュメントがつくられるという計画が伝えられた。このニュースの直後、ウィーン市内にナイキ社の「インフォボックス」(案内所)が突然現れた。その内部では「ナイキ広場化計画」の概要と、その「完成予想図」のほか、「ナイキ広場化計画」を記念するプレミア・シューズやCDなどがディスプレイされ、連日、市民に対するアナウンスメントが行われた。この突然の通達にウィーンの市民は当惑し、こんな計画は「ばかげている」「まちがっている」と驚きや怒りを表明....ところが、実はこれは、世界のさまざまな場で起こっている公共空間の「企業による象徴的な占領」や「民営化」についてウィーン市民の再考を促すねらいで メディア・アート&アクティヴィスト集団 0100101110101101.ORG がしかけたニセのプロジェクト計画だった。ウィーン市民の怒りの声がうずまくなく、0100101110101101.ORGは「これはウィーンの街路を使った1ヶ月間におよぶ大がかりなカルチャー・ジャミング・パフォーマンスである」という最終声明を残し、ウィーンの街から風のごとく去っていった。

▼ナイキ広場とナイキ公園:文化人類学解放講座_d0017381_245100.jpg
▼NIKE GROUND
http://www.nikeground.com/
[上]このプロジェクトのためにつくられたニセのナイキ・サイト。

講義では、この0100101110101101.ORGのプロジェクトの概要と、企業による広場の「民営化/私有化」に対するウィーン市民の反応を記録した、次のドキュメント・ビデオを見ます。


▼「ナイキ・グラウンド/公共空間を考えなおす」(Nike Ground - Rethinking Space)
(2003年 5分59秒 カラー)

[下] 声明をよみあげる0100101110101101.org とそれを聞く市民たち
▼ナイキ広場とナイキ公園:文化人類学解放講座_d0017381_253210.jpg

次に、ナイキの日本支社であるナイキ・ジャパン社(スポーツ用品製造販売会社)が、渋谷区と10年間の「ネーミングライツ契約」を結び、東京・渋谷にある「区立宮下公園」を「宮下ナイキパーク」に改変する計画がもちあがった際、その計画に異議をとなえ、公共空間としての宮下公園を守るために立ち上がった「守る派」(マスコミ報道ではなぜか反対に「反対派」や「反対する団体」などと呼ばれる)の、いくつもの「アフィニティ・グループ」の集合体のアクション(2008年~現在も継続中)を、日本のインディペンデント・メディアが制作したドキュメント映画や、「守る派」のメンバーが制作したヴィデオクリップのほか、講師がフィールドワークを通して現場で体験したことや、「守る派」との協働作業で手にした知見をまじえながら、紹介します。

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[上] 「ナイキパーク完成予想図」

[下] 宮下公園を「守る派」のサイト

▼ナイキ広場とナイキ公園:文化人類学解放講座_d0017381_2181375.jpg
▼「みんなの宮下公園を「ナイキ公園化計画」から守る会」
http://minnanokouenn.blogspot.com/
▼「アーティスト・イン・レジデンス宮下公園」
http://airmiyashitapark.info/wordpress/


OurPlanet-TV制作「宮下公園TOKYO/SHIBUYA」
(2010年 60分 カラー) ※短縮版
 「渋谷駅に一番近い公園・宮下公園。去年8月に渋谷区はスポーツメーカーのナイキ・ジャパンとネーミングライツ契約を結び、来年4月に「宮下ナイキパーク」と名前が変わる。また公園はナイキ側の負担で全面改修されスポーツ公園に変わる予定だ。これまで渋谷区は、議会の答弁の中で、宮下公園のスポーツ公園化は、区民の要望を受けたものと説明。要望書の提出を受けて、ネーミングライツの選定委員会を設置し、ナイキ・ジャパンを選んだとの説明してきた。しかし、OurPlanet-TVの取材によると、1,000筆集まったとされる署名はNIKEと関係の深いスケートボードメーカーT19が集めたことが判明。また、要望書もロッククライミングは区議会議員自身が作成し提出していたことが分かった。そして、この計画は既に2006年にナイキが渋谷区に寄贈したジョーダンコート設置にまでさかのぼることが判明・・・。宮下公園の改修計画の背景にどのような事情があったのか。日本の中で最も賑やかな街・渋谷の行政、議会とは。これまで、ほとんど明らかになってこなかった宮下公園ナイキ化計画のプロセスを取材した」


▼「ドラムサークラーの森 宮下公園」


▼「SET_BUSH_FIRE_pt.2」


▼「Drifter / MIYASHITA PARK」


▼「宮下NIKEパーク建設反対行動」


▼「JUST RUIN IT - Miyashita Nike Park 」


▼「OUR STRUGGLE - よわいたたかい」

講義では、この二つの事例を通文化的に比較してみることで、日本とヨーロッパの「公共空間」をめぐる文化の違いについて考えます。なかでも特に、Twitter 上などで宮下公園を「守る派」の活動に対して、日本の(ネット)市民から執拗に寄せられた「運動嫌悪症(=アクティヴィズム・フォビア)的」な言説や誹謗中傷に注目し、日本とヨーロッパでの「公共空間」や「社会運動」に対する市民意識の違いについて、文化人類学的に考察します。

[参考テキスト]
「ここで、非常に個人的なメッセージをお話しすることをお許しください。それは小説を書いているときにいつも心に留めていることなのです。紙に書いて壁に貼ろうとまで思ったことはないのですが、私の心の壁に刻まれているものなのです。それはこういうことです。「高くて、固い壁があり、それにぶつかって壊れる卵があるとしたら、私は常に卵側に立つ」ということです。そうなんです。その壁がいくら正しく、卵が正しくないとしても、私は卵サイドに立ちます。他の誰かが、何が正しく、正しくないかを決めることになるでしょう。おそらく時や歴史というものが。しかし、もしどのような理由であれ、壁側に立って作品を書く小説家がいたら、その作品にいかなる価値を見い出せるのでしょうか?「私たちは皆、多かれ少なかれ、卵なのです。私たちはそれぞれ、壊れやすい殻の中に入った個性的でかけがえのない心を持っているのです。わたしもそうですし、皆さんもそうなのです。そして、私たちは皆、程度の差こそあれ、高く、堅固な壁に直面しています。その壁の名前は「システム」です。「システム」は私たちを守る存在と思われていますが、時に自己増殖し、私たちを殺し、さらに私たちに他者を冷酷かつ効果的、組織的に殺させ始めるのです。私が小説を書く目的はただ一つです。個々の精神が持つ威厳さを表出し、それに光を当てることです。小説を書く目的は、「システム」の網の目に私たちの魂がからめ捕られ、傷つけられることを防ぐために、「システム」に対する警戒警報を鳴らし、注意を向けさせることです。」(村上春樹)

[社会学者の見解]
宮台真司「渋谷・宮下公園の未来」(TBSラジオ「デイキャッチャーズ・ボイス 金曜日」2010年9月17日) 視聴する(10分36秒 mp3)

[抵抗の科学としての文化人類学]
「私のやっている文化人類学の方からみても、単純で小規模な社会や文化の中に生きる人間ほど、個人が制度的なものの支配を受ける度合いが少ない。それが、農耕や牧畜をはじめ、多くの基本的な技術の発明によって、社会的な結合の範囲が拡大していくにしたがって、個人はますます大きな超個人的な力の支配を受けることになった。国家の支配、権威の支配、慣習の支配、神の支配、一言でいえば、最も広い意味での、文化の支配である。人間は自分の作りだした文化という怪物のために、朝から晩までキリキリ舞いさせられるばかりで、自分の力ではこの怪物をどうにもコントロールできないという、大変なことになってしまった。私のやっている学問も、人間をこのように金縛りにできる文化というものの全体を対象とした科学だと考えているのだが、最近、あちこちでとりあげられるようになったその応用論は、いずれも人間が人間を少しでもより巧妙に支配するための技術を考案しようという意図に出たものとしか思われないようなものばかりである。ところが不幸にして私は、どんな意味においても、支配されるということに我慢ができない。また人を支配することもいやである。帝国主義の支配、階級の支配、組織の支配、伝統の支配、コマーシャリズムの支配、流行の支配、およそいかなる支配でも、支配という事実が意識されると、もう堪えがたい自己嫌悪に陥ってしまう。こういうアマノジャクな頭のなかで、ひとりひそかに私の考えている新しい科学といえば、支配の学に抵抗する科学、いわば反支配の学ともいうべきものである。現代の社会科学や心理学や人類学にだって、文化の呪縛から少しでも人間を自由にするための方法が求められないわけはあるまい。だが、本当のことをいうと、やはり信じて支配されるというのが、いちばん幸福なのでなかろうか。ことに、天皇陛下でも、星条旗でも、ハーケンクロイツでも、スターリンでも、その万歳を叫んで死んでいけるような偶像のもてる人たち、もっと正確にいえば、偶像をもたされた人たちの方が、はるかに生きがいのあるの人生を送っているのかもしれない。ことごとに権威を疑い、異端をとなえて、反支配の学の樹立など企てているのは、さてさてシンドイことではある。(石田英一郎「抵抗の科学」)

[文化人類学の問い]
マスコミが「守る派」を「反対派」ととらえてしまう見方の背後には、行政や企業をまず「主体」として考え、市民や人びとをあとまわしに考える、文化・社会的に慣習化された(つまり無反省的で惰性的な)思考様式があるのではないだろうか?それは「民」を「主」とする「民主主義的」な思考様式とはいえず、体制隷属的な思考で様式はないのだろうか?(文化人類学解放講座)

[イルコモンズの問い]
日本では「なぜ反対するのか?」と質問されることはあっても、「なぜ反対しないのか?」と問いつめられることが少ない。外国の友人たちとの会話では、むしろ後者の問いの方が一般的だ。極端にいえば、これは「反対」という行為を「逸脱」や「異常」と考える文化と、反対を「当然」や「正常」なものと考える文化のちがいなのかもしれない。そこであえて外国人の視点に立って、問うならば、ナイキと渋谷区がどんな言いのがれをしようと、
宮下公園のナイキパーク化は「公共空間の環境破壊」であり、それを推進する議員は「破壊の推進者」なのに、なぜエコロジストや環境派のひとたちは反対しないのだろうか?

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[追記] 「ナイキジャパン社への通達」
「文化人類学解放講座」では、ナイキジャパン社が宮下公園を、名称はどうであれ、ナイキパークとして利用する限り、今後向こう10年間のあいだ、毎年、この講義をくりかえすつもりである。この講義の履修者数は、毎年200人から250人なので、ナイキジャパン社は今後10年間で2,000人から2,500人の顧客を失うことになるだろう。またそれ以外の公共の場での講演(たとえば「公共空間をめぐるたたかい」「うしなわれた公共空間」)などでも、この話をするつもりなので、ナイキジャパン社が失う顧客の数はもっと多くなるだろうが、それは公共空間を破壊するという「とりかえしのつかない社会貢献」をしたことの代償だと考えてもらいたい。
by illcommonz | 2010-11-10 02:38
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