
「
抗議の学生・生徒たちを警察が追い込んだ場所に、なぜか1台、「放置」されていた警察のヴァン。怒った学生・生徒たちは、ヴァンに落書きし、石を投げた。ヴァンの屋根に登って、ドンドン、屋根を足蹴にする男も出た(これはどうも、年齢・風体からして、デモの「学生・生徒」ではないようだ)。その「決定的な場面=暴力的な破壊活動」に対して、マスコミのカメラマンがさかんにシャッターを切った。カメラマンたちに対して、その場に居合わせた女子学生たち(のようだ)が、「どうしてこのシーンばかり、撮るのか?これは私たちの行動の本質ではない」と抗議したが、この場で撮影された「決定的な現場写真」は、学生たちの抗議デモを「象徴」する「証拠」として「記録」され、紙面等で報じられた……マスコミのカメラマンが現場から引き揚げたあと、警察ヴァンへの「攻撃」を最終的に止めさせる、ある決定的な出来事が起きた。高校生と思しき女の子たちが、手をつないで、警察のヴァンを取り囲み、身をもってヴァンを守ったのだ。警察のヴァンを守ることで、自分たちのプロテストの正当性と正義を――あるいはその高潔さを守り抜いたのだ。この「(こちらこそ本当に)決定的な現場写真」を紹介した
ガーディアン紙の記事は、女生徒たちを「反乱の女の子たち(riot girls)」と――これが、みなさんの言う「反乱少女」のほんとうの姿ですよ、との皮肉をこめて――呼んだ。警察のヴァンを投石から守った少女たちは、それだけですでに、道徳的な抜きん出て、新たな社会契約を結びうる高みに立っていた!そこからベタな現状を、未来に向けて乗り越えてゆく契機が生れなくてどうする……。変革の可能性が胚胎した瞬間をとらえたこの写真は――被写体も撮影者も掲載者も、すべてが等しく素晴らしい。」(
「ロンドンの少女たちは手をつないで、警察車両とプロテストの正義を守った!」「机の上の空 大沼安史の個人新聞」2010年11月26日)