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いる・こもんず 【普通名詞】 01| ありふれて変なもの 02| 扱いにこまる共有物 03| 分けても減らぬもの 04| 存在とは常に複数で他と共にあり、狂えば狂うほど調子がよくなる
はじめに、ふた、ありき

イルコモンズ編
見よ ぼくら
四人称複数
イルコモンズの旗
(Amazon.comで
大絶版廃刊中)
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▼[最終講義] こんにちは、もうひとつの世界、の、ありあまる富
▼[最終講義] こんにちは、もうひとつの世界、の、ありあまる富_d0017381_1247389.jpg
 今日は最終講義の日です。最後の講義で、みなさんに伝えたいことは、このことです。

 「YOU ARE NOT POWERLESS=あなたはけっして無力ではない」

 マスメディアのニュースが伝える世界がこの世界のすべてではありません。また、リーマンショック以後も依然として続いている「新自由主義」のものの考え方や価値観が人間の生き方のすべてでもありません。それとは異なる別の世界や別の人生があります。「お金がすべて」の世界のそれとは異なる、別の人生の意味と生きるよろこびがあります。アクティヴィストたちはそれを「もうひとつの世界」とよび、文化人類学者たちはそれを「異文化」とよびます。それは、童話が語るファンタジックな楽園や、都市計画者たちが設計してみせるユートピアではなく、いま僕らが生きている世界と地続きのところにある「別世界」です。そして「別世界」というものがつねにそうであるように、その世界は僕らがみているこの世界の見方や人生の意味を変容させてくれるものです。この講義では、そうした世界を知るための視点や方法として、教科書には載ってない「オルタナティヴな文化人類学」を紹介し、そうした世界を実際に共有し生きはじめるためのチャンスや場として、教科書には載ってない「シアトル以後の世界のアクティヴィズム文化」を紹介してきました。「もうひとつの世界」は、なにかの崩壊や革命の後に実現される永続的な世界ではなく、いまの世界から失われたものや奪われてしまったものを「とりもどす」という行為のなかにそのつど現れてくる一時的なゾーンです。このゾーンをつくるのは、たとえば、映画の封切日やツアーの開幕日を待つみたいに、その日がやって来るのをただ待つだけの「スペクタクル市民」や「消費民」の受身の姿勢ではなく、自分たちがほしいと思うものや自分たちが望む状況があれば、それを自分たちの手で「いま・ここ」にある状況のなかで先につくってしまおうとする「DIY市民」や「クラフター」たちの姿勢です。この姿勢それ自体がひとつの政治であり、それを「カルチュラル・ジャミング」や「予示的政治」とよぶ人たちもいますが、それだけではなく、このゾーンには、いまの世界を支配する「市場の経済」や「みせかけの民主主義」とは別の経済と政治があります。それは「コモン」や「クラフター」たちの経済であり、全員参加の「ダイレクト・デモクラシー」の政治です。そこでは誰も権力や競争力をほしがらず、マーケティングやトップダウン式のものごとの決め方をとりません。また、そこでは自治体やコミュニティよりももっと少人数でたくさんの数の「アフィニティ・グループ」がベースとなり、ひとりひとりが「なにかをする人」になります。志願すれば「クラウンアーミー」という「道化の反乱軍」になったり、「ラディカル・マーチングバンド」という「路上楽団」の一員になることができます。ゾーンの主要な産業は、料理や編み物、自転車や電子工作など、それぞれの趣味や特技を活かした「クラフティヴィズム」です。そこでは、フード・ノット・ボム、ニッタ・プリーズ、クリティカル・マス、サーキット・ベンディングなどの活動を通し、集合的な知識と経験を共有することができます。さらにゾーンには、そうした活動=生き方を互いに祝福し合う集まりが数多くあり、バーニングマン・フェスティヴァル、ジン・ギャザリング、ネイキッド・バイク・フェスティヴァル、トンク・フェスティヴァル、なんとかフェスなどのほか、ピローファイトやモバイルクラビング、フリーズ・シティ、フードコート・ミュージカルなどの「フラッシュモブ」もあります。ほかに、バイ・ナッシング・デー、ソフトウェア・フリーダム・デー、ゴーストバイク・メモリアル・デーなどの記念日やリアル・フリーマーケット、ラディカル・ガーデニングなどなど、毎日、朝から晩まで様ざまなアクションやイベントがあり、とてもゲームや携帯をいじくりまわしている時間がないほどです。そんな、ゆたかで、ゆかいで、充実した「もうひとつの世界」が「かつて」でも「やがて」でもなく、「いま・そこかしこ」に「とっくに・いつでも」あり、その世界で自分の人生の意味をとりもどし、生きなおしている人たちがいます。そしてその人たちがゆっくりと世界を変えつつあります。そういう生き方を知って、自分もそうしようとする人たちがゆっくりと増えはじめているのです。文化人類学は、異文化を知ることを通して、自分が生きている世界が唯一の世界でもなければ、ただしい世界でもなく、その世界の常識や価値観を相対的に見つめなおし、人間らしい生き方や人生の意味を考えなおす学問で、アクティヴィズムはそれを実践し、共有する場です。そのふたつをあわせた「文化人類学解放講座」の一年間の講義を通して、みなさんはすでに「もうひとつの世界」の地図を手にし、その入口に立っています。


「こんにちは、もうひとつの世界」

 新しい世界にふみだすときは、誰でも不安なものですが、心配はいりません。みなさんは決して無力でも無知でありません。「もうひとつの世界」には「ありあまる富」があり、みなさんはすでにその一部を手にしているからです。この講義で紹介してきた「もうひとつの世界」の話と映像がそれです。最初の講義で話したように、この講義はみなさんに何かを「教える=教育する」ものではなく、「もうひとつの世界」があることとそれを知る方法を「教える=伝える」もので、講義はその富を「シェアする=分ける」ための場なのです。どんなに不況の時代でも、「もうひとつの世界」には、人生に意味を与えてくれるありまるほどのアイデアや生き方があり、その富は分けてもへらないし、分ければ分けるほどふえてゆくものなのです。いまはまだ、話と映像でしか知らなくても、そうした世界がこの世界に実在しているということを知っているのと知らないのとでは大きな違いですし、その名前を知っているということは、もうそれだけでひとつの財産です。なぜなら、その名前がみなさんにとっての「もうひとつの世界」への入口になるからで、あとはみなさんひとりひとりのものの考え方や人生の意味にしたがって、その名前のついたものをノックし、その世界をたずねてゆけばよいのです。それは路上であったり、公園であったり、デモであったりします。もしひとりでたずねてゆくのが不安だったら、3人でアフィニティ・グループをつくることをおすすめします。同じく「自分も何かしたいけど何をしたらよいのかわからない」という人は、自分ひとりで考えるのをやめて、アフィニティ・グループをつくって「なにをするか」を考えることをおすすめします。アフィニティ・グループは「もうひとつの世界」の最小単位であり、それ自体がもっともちいさな「もうひとつ世界」でもあるからです。この講義を受けたみなさんが「グローバルに考え、ローカルに行動する」だけでなく、「もうひとつの世界で考え、アフィニティグループで行動する」ことを期待し、この一年間の講義でシェアしてきたものを、もう一度、思い出してもらうために、この講義のエンディング映像を贈ります。


「文化人類学解放講座エンディング映像:もうひとつの世界のありあまる富」
by illcommonz | 2010-12-22 12:53
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