(※おことわり:以下の記事には、みるのがつらい、痛ましい写真があります)
「沖縄の「今」は、この一瞬の延長線上にあり、この一瞬からさかのぼれば、沖縄戦があり、琉球処分があり、薩摩侵攻がある、そんな一瞬をとらえた報道写真家・嬉野京子さんの講演の書き起こしを、筆者の芳沢章子さんのご厚意で転載します。改行などを変更しました。
4月20日、宜野座村に入りました。小学校で休憩に入ったとたん、「子どもがひき殺された!」。なんと行進団の目の前で、小さな女の子が米軍のトラックにひき殺されたのです。手に通園用のバッグを持ったまま。死んだ女の子の側に突っ立っているだけのアメリカ兵。しかし驚いたのは、駆けつけた日本の警察でした。米兵を逮捕するでもなく、軍用車がスムーズに走れるように交通整理をはじめたのです。
これを目の前にして何もしないわけにはいきません。「撮らせてほしい」と懇願しました。「生きて帰れないよ」と言われましたが、引きさがれませんでした。「わかった、見つからないようにぼくの肩越しに撮ってくれ」、一人の男性が肩を貸してくれ、たった一度押したシャッターがこの写真です。」
「沖縄では、米軍関係者による事件・事故が年におよそ1000件、日に3件近く起こっていることは、
保坂展人さんのブログ情報で広く知れ渡ることになりました。
COCCOさんの言葉、「基地とやっていくためには、受け入れて諦めなければならないことがいっぱいありました……諦めることに慣れていって……『しょうがないさ』が口ぐせっていうのもほんとはほんとです」にある受け入れなければならないこと、諦めなければならないこと、しょうがないことが、この1枚の写真に凝縮されていると思います。政治家、官僚、学者、市民……立場に拘わらず、ここに問題の原点があることを知ったうえで、沖縄の人びとに「米軍基地を受け入れ」ろと言ってほしいと思います。」(池田香代子ブログ
「1965年沖縄「少女轢殺」報道写真家嬉野京子の証言(2010年6月14日)」より)
そして今は、本土のマスコミが見て見ぬふりをし、防衛省が交通整理をしている。そして、なによりもおかしいのは政府である。高江であんなことが起きたのに、なぜ政府は米国や米軍に対して一言も抗議しないのだろうか?こんなことが起きても抗議すらしないような政府のいうことをいったい誰がきけるというのだろう?政府に対して抗議を求めないような本土の「安全」のために高江が犠牲になる必要などどこにもない。どのみち国は国のいうことをおとなしくきく者たちの安全しか保障しないのだし、日米安全保障条約は「安全」を人質にとった日米戦争契約でしかない。今回の事件であらためてそう思った。