はじめに、ふた、ありき
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どのまちにも、武器なんて似合わない。 どのまちにも、基地なんていらない。 でも、どうしても「基地が必要だ」というのなら、「いっそ東京を、基地に」と本気でそう思っている。昨日、新宿のどまんなかをデモしながらそう思った。なにしろマスコミも政府も都民もみんなそろって、基地問題にはてんで無関心なのだから、それなら基地をつくるのもたやすいはずだ。反対の声もたかが知れてるだろうし、なにより東京では誰もがみんないそがしくて、反対運動も長続きしないだろう。とにかく沖縄以外ならどこでもいい。まずは東京。そしてもし東京で反対運動が3年続いたら、そのときは建設計画を中止して、別の建設候補地を選べばよい。そしてその候補地でも反対運動が3年続いたら、さらにまた次の場所を選べばよい。候補地はくじびきで決めればよい。そうすれば押しつけにはならない。あとはそれぞれの土地の住民の反対の意志と持続力にかかっている。そうやって反対運動が、3年、6年、9年、12年、15年、18年、21年、24年、27年、30年と続くあいだい、基地はいつまでも建設されることなく日本をさまよい続けるだろう。そもそも「戦争を永久に放棄する」という理想を憲法にしたこの国は、国家としてはきわめて例外的で、かつアヴァンギャルドな国なのだから、こういう実験的な基地のありかたこそ、いちばんふさわしいのではないだろうか。そしてもし反対運動が百年続いたら、そのときはもうこの国に基地をつくろうという考えは非現実的でシュールなものとなり、基地問題はおのずと消滅するだろう...というような話をするときまって、「それはおもしろいけど、現実には無理だよ」とか、「まったく現実的でないね」という人たちがいる。もっともな意見だとは思うが、こういう現実派の意見を前にすると、それは「くそリアリズムだな」思い、「そんなに現実の奴隷になりたいの?」と思ってしまう。そしてそう云われれば云われるほど、ますます自分は「くそ夢想家」で、「理想の奴隷」のままでいたいと思う。自分がそう思うのは、現実よりも夢想家の理想の方がゆたかで、夢想家の空想が現実をのりこえてしまうことがあるのを知っているからだと思う(たとえば、百年前にはいま自分たちの身のまわりにあるテクノロジーのほとんどは空想でしかなかった)。もとより、夢想と理想を恥も外聞もなく語るのは、芸術家や作家の職分だったが、自分の場合は「現代美術家」を廃業してからますますそうなってきた。それはアクティヴィズムにこそ、ファンタジーと理想が必要だとつねづね思っているからなのだが、それはさておき、いまから30年前、小野洋子とジョン・レノンは「あなたが望めば、戦争は終わる」とうたってみせた。この夢想はいまのところまだ現実をのりこえていないが、このうたがいまもすたれず、多くの人たちに好まれ、口ずさまれているのをみると、いつかこの夢想が、まるでウソのように現実をのりこえてしまう日がくるのではないかと思ってしまう。このうたの響きにはなにかそういうミラクルの響きがある。それはこのうたをはじめて聞いたときに感じたことでもあり、今でもこのうたを聞くたびにそのときの感覚がよみがえってくる。とりわけいま自分がこのうたを好むのは、その響きに「予示的政治」の響きがするからなのかもしれない。このうたには、のりこえられた現実の向こう側の世界の歓喜を予め先取りして示すような響きがあるのだ。とはいえ、このうたがうまれてから30年の間に、フォークランド紛争があり、ボスニア戦争があり、アフガン戦争と二度のイラク戦争があった。気がついたら、この30年間は紛争と戦争の時代だった。「あなたが望めば、戦争は終わる?」と疑問符をつけたくなるときもあったし、実際、望んで終わった戦争はない。しかし、終わらなかった戦争もなかった。そうした紛争と戦争の30年を経たいま、「あなたが望めば、戦争は終わる」についてあらためて思うことは、この夢想が現実をのりこえるのには時間がかかるということだ。「あなたが100年望めば、戦争は終わり、基地も消える」といまはそう思って、このうたをきいている。いまはまだ30年、あとまだ70年もある。「あなたが望めば、戦争は終わる」に時間を与えよう。夢想が現実をのりこえるには100年かかるのだと思っていれば希望を失くすことはないし、なにより希望とは「待つこと」のなかに宿るものなのだから。
by illcommonz
| 2010-12-27 06:29
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