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いる・こもんず 【普通名詞】 01| ありふれて変なもの 02| 扱いにこまる共有物 03| 分けても減らぬもの 04| 存在とは常に複数で他と共にあり、狂えば狂うほど調子がよくなる
はじめに、ふた、ありき

イルコモンズ編
見よ ぼくら
四人称複数
イルコモンズの旗
(Amazon.comで
大絶版廃刊中)
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▼「横浜トリエンナーレに出たい」
▼「横浜トリエンナーレに出たい」_d0017381_20233910.jpg
 「次の横浜トリエンナ-レに出たい」という、この落書きは、今から一年前、「ヨコハマ国際映像祭2009」「アクティヴィズム3.0」展をやった時につくって会場に展示したもの。「もっと広いところで展示したい、もっと人がたくさん来るところで展示したい、まだやりたいことがたくさんある、もっとやらせろ、もっとやりたい」という「いるといらとそのなかまたち」の共同声明。「え?これだけ好き放題やってるのに、まだ足りないの?」と呆れられたおぼえもあるが、アクティヴィストなのだから仕方がない。「アクティヴでないアクティヴィスト」というのは言葉の矛盾である。それはともかく、当時はまだトリエンナーレのディレクターもテーマもなにも決まってなかったが、下のステートメントをみたら、ほんとに出てみたくなった。

▼「横浜トリエンナーレに出たい」_d0017381_20542063.jpg
▼「横浜トリエンナーレ2011 アーティスティック・ディレクター・ステートメント:
 世界をどこまで知ることが出来るか」

 「21世紀初頭の現在、科学技術は高度に発達し、インターネット等のメディアによって世界は隅々まで明らかにされたかに思えます。しかし、我々の身の回りには、まだまだ科学や理性では説明できない世界の不思議が多く存在しています。次回の「横浜トリエンナーレ2011」は、「われわれは、世界をどこまで知ることが出来るのか」という問いのもと、世界や日常の不思議、魔法のような力、さらには超自然現象や神話、伝説、アニミズム等に言及した作品に注目したいと思います。この方向性は、決して科学の限界を問うものでも、また神秘主義を讃えたり、単にアートの娯楽性のみを追求するものでもありません。それよりも、こうした科学では解き明かせない領域に改めて眼を向けることで、これまで周辺と捉えられていた、あるいは忘れ去られていた価値観や、人と自然の関係について考えるとともに、より柔軟で開かれた世界との関わり方や、物事・歴史の異なる見方を示唆しようとするものです。なお、まだ準備の初期段階のため、タイトルを含め具体的な企画内容については、今後の発表となりますが、この第4回トリエンナーレより、横浜美術館をメイン会場として新たな第一歩を踏み出すことになったことを受けて、本展では必ずしも国内外の現代アーティストの新作ばかりに拘るのではなく、美術館だからこそ可能な古今東西の歴史的作品や横浜美術館の所蔵品も一部展示の中に含みたいと考えます。さらには、フォークロア等通常の美術の枠には入りにくい作品も含み、時代、文化背景の異なる作品が対峙、対話することで新たな解釈が生まれたり、分類やカテゴリーにとらわれない自由な鑑賞の旅を創出します。また、展示作品には、宝探しのような楽しさに満ちた作品や、奇想天外でユーモアに富んだ作品も含まれ、子供のような純粋な好奇心、そして感動や驚きを喚起します。このように、知らない世界の探求、新しい知識の航海への船出ともいえるような本展が、停滞感が強く先行きの見えない現代に対してなんらかのメッセージを持ち、また世界中で国際展が氾濫し、その存在の明確化が求められるなか、世界に初めて開かれた港である横浜に適した国際展のかたち、そのアイデンティティーの模索に繋がれば幸いです。」(横浜トリエンナーレ2011 アーティスティック・ディレクター 三木あき子)
................................

 まず「われわれは、世界をどこまで知ることが出来るのか」という問いがいい。去年のウィキリークスの一件で、この問いはにわかにアクチュアリティを持ったと思う。ウィリキークスは「私たちの知らないところで、ろくでもない連中が、こそこそと世界を動かしている」ということを再認識させてくれた。「インターネット等のメディアによって世界は隅々まで明らかにされた」かのように思える、「21世紀初頭の現在」を生きる私たちは、「われわれは、世界をどこまで知ることが出来ているのか」という問題意識を持たなければならないし、それだけでなく、自分たちひとりひとりが世界をリークしてゆく存在にならなければならないと思っている。その手段はブログでもグラフィティでもYouTubeでもなんでもいいが、現代美術の展示もその有効なメディアになると思うし、そもそもメディア・アクティヴィズムはそのためにある。


▼ウィキリークスがリークしてくれたことを3分間でみてみる

▼「横浜トリエンナーレに出たい」_d0017381_20193990.jpg
▼TEDトーク「ジュリアン・アサンジ なぜ世界にウィキリークスが必要なのか」
(2010年 19分34秒 日本語字幕つき)

 次に、なりそこねとはいえ、文化人類学者なので、「知らない世界の探求」や「フォークロアなど通常の美術の枠には入りにくい」ものには人一倍関心がある(というか、それにしか関心がない)。そもそも「これまで周辺と捉えられていた、あるいは忘れ去られていた価値観や、人と自然の関係について考えるとともに、より柔軟で開かれた世界との関わり方や、物事・歴史の異なる見方」というオルタナティヴを提示するのが文化人類学の役目であり、この6年間、「文化人類学解放講座」やってきたのも、それである(というか、それしかやってない)。
 現代美術もその原点に立ちかえれば、同様の性格をもっている。もともと現代美術は、近代以後の世界の(つまらない)常識や(たいくつな)現実、(おしつけられた)道徳や(せまくるしい)定義、(つまらない)美意識や(けちくさい)価値観をひっかきまわし、相対化し、ジャミングし、脱構築するオルタナティヴを提示してみせるものだった(はずだ、現代美術はサーカスではないし、ましてや投資の対象などではない)。たとえそれが、どんなにばかげたものでも、どんなにこどもじみたものでも、それを堂々とやれるのが現代美術の強みである。だからこそ、文化人類学から現代美術に転向しても何の違和感も感じなかったし、「方法は違うがやってることは同じだな」と思ったのを覚えてる。そして、それは現代のアクティヴィズムについてもいえる。
 現代美術家を廃業してから、この数年ずっとフォローしてきたオルターグローバリゼージョン・ムーヴメントは、「もうひとつの世界は可能だ!」というスローガンの通り、資本主義の世界で周辺に追いやられてきた価値観や生きかたを反乱を通じてとりもどそうとするものだった。そのムーヴメントからは、それまでの社会運動にはなかったオルタナティヴな戦術や反撃のアート(技法)が生まれた。たとえば、リクレイム・ザ・ストリート、インディ・メディア、クリティカルマス、クラウンアーミー、ゲリラ・ガーデニング、モバイル・クラビング、ウィールマート、ゴースト・バイク、バイ・ナッシング・デー、などなどである(もちろん素人の乱とA.P.P.D.も忘れてはいけない)。

▼リクレイム・ザ・ストリート


▼クラウンアーミー


▼素人の乱「3人デモ」


▼A.P.P.D.


 これらは今も持続的に行われているが、2008年のリーマンショックで資本主義の自滅を見届けてから以後のアクティヴィズムは、「もうひとつの可能な世界」というヴィジョンを、スローガンとしてだけでなく、具体的な「ライフスタイル」として、自分たちの日々の生活の中で実践し、たのしむ季節に入ったように思う。ここ数年の「クラフティヴィズム(クラフト+アクティヴィズム)」のムーヴメントにそれがうかがえる。アクティヴィズムの世界は、ジェームズ・クンストラーが小説「手づくりの世界」で描いた未来に近づいてきている。そこでは、ニッタプリーズのようなアフィニティーズや、バイクブロックのような戦術、インプローヴ・エヴリウェアのようなプランク・コレクティヴ、ホワット・チア・ブリゲードのようなラディカル・マーチングバンドの活動がますます活発に、かつ快活になってきている。

▼バイクブロック


▼ニッタプリーズ


▼ミシシッピ・ジャンクボート


▼キューブリッジのエコビレッジ


 「この優しくて悲しい小説(ジェームズ・クンストラー「手づくりの世界」)の世界で、アメリカ合衆国(そして同時に世界全体)の人口が、エネルギー不足、飢餓、疫病、テロ、地球温暖化によって減少している。物語の時代は未来というだけで特定はされてない。話は元・ソフトウェア会社の重役であったロバート・アールの語りで進行する。彼は現在、ニューヨーク北部で伝統的な工具を使う大工として生活している。電気は数週間に一度、数分だけ届く程度だ。そのときラジオから聞こえるのは、ヒステリックな宗教論議だけ。世界の状況がどうなっているかは、あいまいな噂としてしか伝わってこない。しかし無法状態の厳しい生活は、悪いことばかりではない。地元のコミュニティの活動が活発で生産的だ。近所の人たちはみな顔見知りで、助け合って生きている。自分で育てた作物や手作りした日用品を物々交換して必要なものを手に入れている。バターたっぷりのコーンブレッド、卵、チキン、ステーキ、野菜、魚など。食糧は豊富で美味だ。みんなはよく集まって音楽を奏でる。リビングルームでテレビをみることもないから、外にでてライブ演奏をたのしむのだ。」(マーク・フロウエンフェルダー「未来では、物事は基本に返る」)

▼インプローヴ・エヴリウェア「フードコート・ミュージカル」


 「人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣りに、ちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は、人の世よりもなお住みにくかろう。越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容(くつろげ)て、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降る。あらゆる芸術の士は、人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。」(夏目漱石)

▼ホワット・チア・ブリゲード ホンク・フェスティヴァル


 「現在の芸術は、資本主義社会の中で貨幣によって乱用され、多くの若い人々に誘惑的に働いています。私から忠告させてもらえば、現在の体制を変えなければならないということです。そのためにわれわれは、お互いに結びつき、連帯しなければなりません。そのために多くの人々、多くのグループを集めなければなりません。そして今とは違ったことをしなければなりません。ただ選挙によって何らかの政党を選び、それによって現在の体制を結果的に擁護するというようなことでは駄目なのです。逆にまったく直接的で民主主義的な工作をしなければなりません。」(ヨーゼフ・ボイス)

▼ループ・タガー


 「戦略的軽薄主義」や「カルチャージャミング」の流れをくむ、こうした「たのしいアクティヴィズム」は、アート作品(たとえば、クリストのランド・アートとかティンゲリーのジャンク・アートなんか)よりもずっと親しみやすく、NPO系のアート・プロジェクトのように優等生的でないところがよい。それはまさに「子供のような純粋な好奇心、そして感動や驚きを喚起する」アクションであり、「奇想天外なユーモア」にあふれたムーヴメントだと思う。ただ残念なのは、世界にはこんなにおもしろいものがあるのに、それを伝えるメディアがないせいで、こうした文化が「現代の知られざる異文化」(秘境?)になってしまっていることだ(マスメディアの報道ではアナーキストはまるで「21世紀の野蛮人」あつかいである)。だからこそ「異文化理解」「他者理解」ということで「文化人類学解放講座」「イルコモンズアカデミー」でそれを対抗的に紹介してきたわけで、二年前の「イルコモンズ・インフォショップ」や去年の「アクティヴィズム3.0」はそうした講義を展示に置き換えたものだった。。
 もしトリエンナーレに出れるなら、「アクティヴィズム3.0.1」というタイトルで、そのつづきをやってみたい。特に展示したいと思うのは、将来の不安を人質にとるようなやり方で政府がおしつけようとしている「新成長戦略」とか「経済発展」とか、そんなものをあてにしなくても生きてゆけるアウトノミア的なライフスタイルの提示だ。具体的には、「トランスフォーメーション」展のアーカイヴを一緒につくったR.L.A.T.チームで「もうひとつの可能な世界」を知るためのアーカイヴ+ヴィデオライブラリー+ミュージアムをつくり、NYで参加した「サインズ・オブ・チェンジ」展のように、いるといらとそのなかまたちで「もうひとつの可能な人生」を存分にたのしむためのワークシェアリングやカウンター・アクションをやってみたい。
 ほかに「アクティヴィズム3.0」で展示したものをさらに改造したもの(たとえば、バイ・ナッシング・マシン)や、展示に間に合わなかったもの(たとえば「オルタナティヴ人生ゲーム」)、新たにつくったもの(たとえば「デモ用のサウンドシステム」や「セミトール・ドラムバイク」)なども展示してみたいものだ。と、こんなふうに実現したいことがあるときは、それを先取りして示すのが、今日のアクティヴィズムの「予示的政治」なので、トリエンナーレに出るあてはまったくないのだが、勝手に予告編をつくってみた。展示のテーマは「メディア+アート+アクティヴィズムで、もうひとつの可能な世界はどこまで知ることが出来るか」である。


▼「アクティヴィズム3.0.1展」PV (横浜トリエンナーレ2011 非公式予告篇)
[出演] フランコ・ベラルディ [撮影・編集] 久保田美生 [再編集] イルコモンズ

 考えてみれば、現代美術家を廃業するきっかけになったのは、10年前の横浜トリエンナーレだった。あのとき9/11の事件が起きたせいで、つくろうと計画していたものは最後までつくることができず、その一年後に「現代美術家廃業宣言」をしたため(「去年、トリエンナーレで」展参照)、それ以来、いわゆるアート的な表現活動から距離を置いてきたが、そろそろ封印を解いてもいい頃かもしれない。トリエンナーレのために用意した2トンの資材のほとんどが今も手つかずのまま家に残っているし、廃業以後につくったものがそれと同じくらいある。それを一度どこか陽のあたる場所に出さないと、次に進めない(引越しも廃棄もできない)ので、横浜トリエンナーレでなくてもいいので、今年はどこかで展示をしたいものだ。そんな気分になったのは、正月にひいたこのおみくじのせいかもしれない。

「苦労、難儀は今日まで、これからは行く先々に好運あるも、つかみそこねないようにせよ」

 とはいえ、予告編をつくってYouTubeにアップしたのはもう2ヶ月も前のことで、その後、クラウンアーミーや社会鍋やデモやらなんやらで、予告編をつくったことなどすっかり忘れてしまってたくらいなので、あまりあてにはならない展望なのだが、もしほんとにチャンスがあれば、トリエンナーレにもう一度出直して、「give piece a chance」の展示をやりなおしたいと思っている。ただし今度はひとりではなく、仲間たちと一緒に。

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[追記] まだ先の話ですが、春と夏にこういうレクチャーをやります。

▼「横浜トリエンナーレに出たい」_d0017381_1573926.jpg
▼「たのしいアクティヴィズム①:反撃の作法篇」
[日時] 2011年5月21日(土) 120分
[場所] 東京・PARC自由学校
[講師] イルコモンズ
▼「たのしいアクティヴィズム②:未来の政治篇」
[日時] 2011年7月30日(土)360分
[場所] 東京・PARC自由学校
[講師] イルコモンズ

この講義をそのまま展示に置き換えることができたら勿怪の幸い。

[参考文献]
▼イルコモンズ「〈帝国〉のアートと新たな反資本主義の表現者たち」(2008年)※全文
http://d.hatena.ne.jp/araiken/20100603/1275529772
by illcommonz | 2011-01-24 20:36
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