![▼[エジプト革命] 新しい世俗政治の鎖_d0017381_18233380.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/201102/04/81/d0017381_18233380.jpg)
「今日、イスラム教徒のデモ参加者の人たちが礼拝をしてるあいだ、
キリスト教徒の人たちが「人間の鎖」をつくって守ってくれました。
連帯と団結力、そして共生」(
Sana Saleem 2011年1月29日)
![▼[エジプト革命] 新しい世俗政治の鎖_d0017381_18255100.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/201102/04/81/d0017381_18255100.jpg)
「昨日、イスラム教徒のひとたちが礼拝をしているあいだ、
それを守っていたキリスト教徒のひとたちの写真を撮りました。」
(
Nevine Zaki 2011年2月3日)
![▼[エジプト革命] 新しい世俗政治の鎖_d0017381_1824365.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/201102/04/81/d0017381_1824365.jpg)
エドワード・サイードは青年時代をエジプトで過ごしたという。そのサイードがもし生きてて、この光景をみたらどう思っただろう。たぶんこう云っただろう。
「いまこそ、アラブの新しい世俗(非宗教)政治を世界に知らせなければならない。わたしたちの武器は軍事的なものでなく、道義的なものなのだ」と。
民衆蜂起したパレスチナの若者たちが投石する姿に「巨人ゴリアテに立ち向かうダヴィデ」のイメージをみたというサイードが、かつて自分が青年時代を送った国の若者たちが起こしたこの革命を見たら何と書いただどうか?そして、そのサイードが、アラブ社会の様々な問題解決のためにくりかえし説いてきた「世俗的なるもの」がいまインターネットのサイバー空間のなかに出現してきているのをみたら、どう思っただろうか? そんなことを想いながら今日もアルジャジーラをみている。