はじめに、ふた、ありき
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この映像は、エジプト革命がはじまってまだ間もないころに見て、もしこの革命がうまくいったら、この革命の「複数の原点」のひとつとして、最後に紹介しようと思っていた映像。と同時に、自分がこの「革命を支持しよう」と決めるきっかけになった3つの映像の中でも特に心を動かされた映像。2008年4月6日に行われた労働者のストライキが警察に弾圧されたことにちなんで名づけられた「A6ユース・ムーヴメント」(「革命前夜のヴィデオ・ブログ」のアスマ・マフーズもこのムーヴメントのメンバー)が、去年の4月6日にカイロ市内で行ったストリート・アクションの映像。はじめはひどく不安そうな表情で萎縮していた若い女性たちが突然、意を決したかのように、持っていた旗を大きくふりはじめ、やがて「Horeya!Horeya!=自由を!自由を!」と声をあげながらストリートを走りぬけてゆくこの映像をみて「革命のはじまりの風景」を想った。また、革命が成功した後にリリースされた「Sout Al Horeya ヴォイス・オブ・フリーダム」の「この国のすべてのストリートで自由の声があがっている」という歌を聞いた時に最初に想い出したのも、この映像とその女性たちの声だった。よくいわれるように、どんな大きな出来事も最初はいつも小さな声からはじまる。どんな大きな変革も最初はいつもほんの数人の行動からはじまる(たとえば富山の女房一揆)。18日間続いたエジプト革命のあいだ、とりわけタハリール広場に数百万の人たちが集まるようになってから以後、一度ならず、いや、何度も何度もくりかえしネットで目にし、また自分でもそう問わざる得なかった問いは、「はたして、こんなことが日本で起きるだろうか」という問いだった。たしかにタハリール広場で展開されたあの風景だけをみれば、ほとんど不可能なことのように思えるかもしれないが、しかし「タハリールの奇跡」は突然魔法のように起きたのではない。それ以前に「A6ユース・ムーヴメント」をはじめとする複数のムーヴメントが準備してきた無数の導火線がなければ、チェニジアの革命からの飛び火をあれほど大きな炎に変わることはなかったはずだ。「A6ユース・ムーヴメント」のオリジネーターのひとり、アフムド・マヘルは、J25のデモとそれ以前のエジプトのムーヴメントの状況をこんなふうに語っている。 「友人らと3年前に「4月6日運動」を立ち上げた。インターネットの交流サイト・フェイスブックなどで呼びかけ、民主化や失業問題を訴えるデモをはじめた。だが、デモをしても警官のほうが参加者よりも多かった。1月25日のデモも「二、三千人くれば上出来」と思っていた。」(アフムド・マヘル) これは2008年4月6日のストライキを伝える当時のアルジャジーラのニュース これは2010年4月6日の「A6ユース・ムーヴメント」の抗議の映像、警官の方が多い。 ここでマヘルが語っている状況は、いまの日本のムーヴメントの状況と似たところもあるが、だから日本でもいつか同じことが可能だというふうには実は思っていない。しかし不可能だとも思っていない。「不可能の反対語は可能ではなくチャレンジだ」という言葉もあるように、「可能か不可能か」という硬直したものの見方そのものを脱構築するようなオルタナティヴな考え方の方にこそむしろ希望があるように思うし、もし賭けるならそちらの方に賭けたい。たとえば「権力をとらずに世界を変える」というのがそうだし、また、すでに高円寺などでやってる「革命後の世界を先につくってしまう」という実験などは「革命を起こさずに世界を変える」方法かもしれない。そういう「なしくずしの革命」の方がよほど、日本というこのどうにもおかしな国の土壌にあっているように思う。それはともかくも、タハリール広場で起きることをずって見ていて思ったのは、日本で革命が可能か不可能か必要か不要かなどという議論は誰かに任せておいて、自分はこれから・どこで・なにをしながらその日に備えておくかという、今後20年分くらいの「用事」が見つかったような気がしている。これまで「なんだっけ、なんだっけ」と考えても、どうしても思い出せなかった、あの「わたしの用事」がである。 背戸の藪から のそのそと とのさま蛙が まかりでて 両手をついたが やや考えて わたしの用事は なんだっけ? 太郎使いに 出て行って みちくさ喰って 暇とれて 行ったは行ったが やや考えて わたしの用事は なんだっけ? 「なんだっけ」(作詞:吉丸一昌 作曲:大槻貞一) これまでどんなに考えても、どうしても思いだせなかったものが、突然くるりと思い出せるようになる、こういう思考の裏返りもまた一種の革命だとすれば、それが起きたのだから、おさんのいうとおり、革命なんて、案外簡単なものだ。 「革命は、ひとが楽に生きるために行うものです。悲壮な顔の革命家を、私は信用いたしません。気の持ち方を、軽くくるりと変えるのが真の革命で、それさえ出来たら、何のむずかしい問題もない筈です」(太宰治「おさん」)
by illcommonz
| 2011-02-17 00:18
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