革命のあいだも、そして革命が一段落してからも、連日連夜、相当な量の映像を片っぱしから見続けてきたので、さすがにもう、これまで見てきた映像以上の映像はないだろう、と思っていても、そのつどその思いこみをあっさり覆すような映像が次々に現れてきて、「いったい、この革命はどこまでスゴイんだ」と圧倒され続けてきたが、はたして、この映像もそうだった。この度し難いまでに壮大な音楽も含め、この映像にあきらかな誇張や美化が含まれていたとしても、それがどうした。ゴダールが云うように、スポーツはウソをつかないが、映画をウソをつく。私たちは、映画がついてみせてくれる美しいウソや恐ろしいウソにだまされるために映画館に行くのだし、だましてもらいたくて映画をみるのだ(動物は映画をみない、映画をみるのは人間だけだ)。そんなふうに、映画を見るような気持ちで、この映像がみせてくれる壮大な「人間たちの物語」に目をみはり、心をふるわせた。子どものころ「アラビアンナイトの物語」に夢中になったのと同じくらいの気持ちで、この映像を食い入るように見た。特に、タハリール広場に人が集まり始めた頃、当時の緊迫した状況の中で、
来たるべき未来について語っていたあの女性が、うれしそうに笑いながら踊っているカットを見つけてから後のシークエンスは、自分でも「それはおかしいだろう」と思うくらい泣きべそをかきながら見た。さすがにラストの子どものシーンは「ズルい」と思ったが、そういうシナリオの映像=映画なのだから仕方がない。あっさり降参して泣いた。この映像を見終わって、つくづく思ったのは、「歴史は終わった」とか「大きな物語は終わった」というポストモダン思想の「シニシズムの物語」はこれで完全に終わったということである。なにしろ「革命」という最大級の「大きな物語」が起きてしまったのだから、ポストモダンは終わりである。アフガン戦争のさなかにジジェクは「ようこそ、現実の砂漠へ」という陰鬱な文章を書いたが、そのジジェクも今ならこう書くだろう。「ようこそ、新しい歴史=物語の泉へ」。さよなら、ポストモダン、こんにちは、新しいエジプト。