トラウトはふたたび彼の前に立ってさけんだ。
「目をさませ!目をさませ!
あんたは自由意志をとりもどしたんだ。
しなけりゃならん仕事がある。
あんたはひどいビョーキだった。
だが、もうすっかりよくなった。
あんたはひどいビョーキだった。
だが、もうすっかりよくなった。」
「自由意志、自由意志、自由意志」
プリンスはふしぎそうに顔をしかめて復唱した。
「俺が持ってるものは何だろうと、前からふしぎに思ってたけど、
いま、その名前がわかったよ。」
(カート・ヴォネガット「タイムクェイク」より)
トラウトが云わなくても、エジプトは自力で目をさました。18日間の「タイム・クェイク=時の地震」が起きた後、人の「自由意志」を目覚めさせるジングルがチリンガ・リーンと鳴りひびき、それを合図にエジプトはさっそく活動をはじめた。
こどもから大人まで、みんな何かしたくて、うろうろしている。人びとは、それまで手にしていたカメラや携帯を、ほうきやバケツに持ちかえ、誰かにそう云われたわけでもないのに、自主的に広場や街頭に出て、やらなければならない「自分の仕事」をはじめた。そうじをしたり、交通整理をしたり、ペンキをぬったり、道案内をしたり。自分のためにではなく、誰もが、誰かのために、みんなのために、何かをしようとしはじめた。それは、ありふれた景色、あたりまえの日常、ふつうの社会のようにもみえるが、しかし、それを見失っている社会にとっては尊い景気。これが、自治と協働と贈与がつくりだす人間社会のオーガニックなエコロジーだとそう思った。