はじめに、ふた、ありき
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「次々にリビアから送られてくる画像は、闘い続ける市民の「命」の画像。私達はこの画像を、茶の間でコーヒーなど片手にして観るわけだが、マスコミの論調は「不安定な中東」という言い方で日本の経済に対する悪影響とか、無理やりこじつけた不安な安全保障政策とかに重きを置いている。そこには圧政に苦しみ、拷問・殺害の恐怖を乗り越え、起ち上がった人々への敬意は微塵も感じられない。日本の経済が不安なときに、迷惑なやつらめ、という論調だ。私達が形ばかりでも民主主義の恩恵を被っていられるのは、かつてそのような勇気ある無数の市民がまさしくおびただしい血で勝ち取ってきた成果だ。さらには、残虐な戦争の餌食となった無垢な人々の怨嗟だ。そんな歴史のイロハに背を向けて、さもしたり顔で中東や世界で戦う人々を突き放すような言い方にこそ私は身の危険を感じる。ああ、この人達は平気で民主主義の敵にまわり、笑みを浮かべながら私達に銃弾を浴びせるのだな、と。」(晴旅雨旅「リビアの画像」) 「リビアのためのデモ行進」がはじまる直前の代々木公園で、デモのそばを通りかかった二人連れの若い男女の男の方が、デモに集まった人たちを指して、「ほら、人間のクズどもがいるよ」と云うのを耳にした。それを耳にした瞬間、怒りや憤りを一気に通り越して、背筋がゾッとした。それはカダフィが抗議者たちに対して投げつけたのと同じ言葉。一方は、絶叫のような演説、他方は、抑揚のないつぶやきだが、日本語で耳にする後者の方がはるかに冷酷に聞こえ、その冷たく冷め切った口調に背筋が寒くなった。と同時に、上に引用した「ああ、この人達は平気で民主主義の敵にまわり、笑みを浮かべながら私達に銃弾を浴びせるのだな」という言葉がよみがえってきた。もしデモに集まった人たちが「人間のクズ」だとしたら、この若い男はなんだろう?さしずめ人間のかたちをした別のなにかということになるのだろうが、この問いに答えはない。あまりの言葉に、一時は通り越していった憤りと怒りを押し殺し、なにか話しておくべきかとも思ったが、その必要はなさそうだと思った。その言葉を聞いた連れの女性の表情が硬直していたように見えたからで、それが気のせいでなかったことを願いたい。そして、もしあの二人連れのどちらかがこのブログをみていたら、ぜひ次の文章をよんでほしい。それがあのとき話したかったことで、二人には、ぜひこの件のことで、もう一度、正面から向き合ってほしいと思う。 「これは、あなたが本当は何者であるかを試される瞬間です。あなた自身の真実の瞬間です。あなたの良心はまだ生きていますか。あるいは、あなたは人間性よりも利害関係を重んじますか? あなた自身の尊厳を証明し、私たちが人間性の回復を要求することを手伝ってくれるでしょうか。それとも、戦車が我々を轢くのを、脇に立ってただ見ているだけでしょうか? それはあなたが決めることですが、覚えておいてください。それはあなたが一生抱えていくことになる何かであり、いつかあなたはこの件で子供たちと正面から向き合わなければならないかもしれません。」(エジプトの青年からの手紙) 「メディア・ウォール」の内側にいると分かりにくいかもしれないが、いま、この世界では「あなたが本当は何者であるかを試される瞬間」がずっと続いているということに、どうか気づいてほしい。そして、その「瞬間」はなにも今だけの話でなく、たとえば、「あのとき、あなたは何をしてたの?」とか、「あのとき、あなたは何を考えてたの?」という問いかけのかたちで、今後のあなたの人生や、あなたの友人や恋人、家族や同僚たちとの関係のなかに、くりかえし回帰してくることもあるということも、どうか覚えておいてほしい。 たとえば、このリビアの少年がやがて大人になり、どこかであなたと知り合うことになったとする。彼はあなたがどういう人物なのかを知りたくて、2011年2月のあなたのブログやツイートを検索し、そのとき、あなたがどこで何をし、何を考えていたかを知ろうとするかもしれない。そうなったとき、あなたは大丈夫だろうか?これからあなたが生きていく人生では、そういうことだって起こり得るのだということも、どうか心にとめておいてほしい。
by illcommonz
| 2011-02-27 22:47
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