明日、
非常勤の勤め先で、毎年恒例のパーティーがある。自分は大のパーティー嫌いで、自民党、共和党、緑の党、その他もろもろの政党は云うに及ばず、およそパーティーと名のつくものはたいてい嫌いで、数少ない例外は
ドイツ無政府主義ポゴ党とストリート・パーティだけである。さらに、グルーチョ・マルクス趣味者でもあるので、「自分を招待するようなパーティーには出席したくない」と考えているのだが、一方で、思想と胃袋は別だとも考えていて、背に腹をかえない食いしん坊でもある。というわけで、明日はいつものようにジップロック持参でパーティーに行き、ふだんはまず口にしないような、ごちそうをたんまりもらってきて、近所のともだちとジップロック・ホームパーティーをひらこうと思っている。340人の講義をうけもっているので、そのくらいしたってバチはあたらないと思う。こういうのは、貧乏くさいことなのかもしれないが、貧乏くさいのではなく、これが貧乏なのだ。貧乏人は、拾うモノはあっても、守るモノが少ないので、人の云うことをきかない(ですませることができる)。貧乏人は、金銭的な不自由はあるが、精神的な自由を持っていて、いつも反乱のことばかり考えている。
媚びつつ人生ささやか食べ残し
目から草が生えても人生ってもんだろ。
犬くらべよし山くらべよし…そう、人生。
(都築響一「夜露死苦現代詩」より)