
「私が部屋に入ったその時、地震は起きた。そしてその時私は、深く考えることもなく、この災害に私の基本的なスタンスで対応することにした。それは、今は少なくても、状況に関して自分よりも良く知り、知識も豊富な人々や団体の言葉を信じようというものだ。日本人は「集団」の規則を忠実に守り、そして逆境に直面した時には、協力体制を築くことに長けているとよく言われることがある。今、それを否定するのは難しい。勇敢なレスキュー隊による活動や救助活動はノンストップで行われ、これまで略奪は一度も起こっていないと伝えられている。だが、集団の目から離れると、我々は自己中心的に行動する傾向もある。そしてそうした行動は反乱のようだ。まさに今、それが目の前で起きているのだ。米、水、パンなどの必需品が、スーパーやコンビ二から消えている。ガソリンスタンドではガソリンが売り切れている。買い溜めをする人でパニックが起きている。集団への忠誠心が試されている。しかし今、我々の最大の関心は福島の原子炉にある。東京を離れている人々もいるが、大半の人々は留まっている。「仕事があるから」という人もいれば、「友達やペットがいるから」という人もいる。また、「チェルノブイリ級の惨事になったとしても、福島は東京から200キロ以上離れているから」という人もいる。
私の両親は九州にいる。しかし私はそこへ逃げるつもりはない。東京に残りたい。家族と友人、そして被災者の方々の側にいたい。彼らが私に勇気をくれるのと同じように、勇気を与えたい。そして今は、あのホテルの部屋で取ると決めたスタンスを取り続けている。情報が豊富な人々や組織、特に私がウェブで読んでいる科学者や医者、エンジニアの言葉を信じようと思う。彼らの意見や判断の多くは報道されていない。しかし、彼らの情報は客観的で正確だ。私は耳に入ってくる情報のどんなものよりもその人たちの情報を信じている。
10年前に中学生が国会でこう演説する小説を書いた。「この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。でも、希望だけがない」。多くを失ったが、希望が我々日本人が取り戻したものの一つであることは間違いない。巨大な地震や津波は多くの命や資源を奪った。しかし、これまで自分たちの繁栄に酔いしれていた我々は、再び希望の種を植えたのだ。だから、私は信じることを選ぶ。」
村上龍
「物資不足でも、希望は溢れている」より抜粋