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「μSv:関東各地の放射能値の可視化」より
前にも書いたが、自分のあたまには、何か致命的なバグがあるらしく、この世の中のなかの、ありとあらゆる数字で表現されるもののことが、うまく把握できない。どんな数字をみても聞いても、まるでリアリティが感じられず、想像力がまるではたらかない。2ケタの足し算や掛け算すらろくにできないし、非常に高い確率で「計算まちがい」をする。そして4桁以上の数字の記憶ができない。だから暗証番号をよく忘れる。目の前にある暗証番号でさえも、入力をまちがったり書きそこねる。そんなふうに、ジャンルを問わず、「数字に関する事象」に関しては、おそろしく「ちのめぐり」がわるい。お金に関してもそうで、ともあく、数に関しては自他ともに認める不適合者である。たとえてみれば、ボルヘスの小説「ブロディの報告書」やヘルツオークの映画「緑のアリが夢見るところ」などで語られる「未開人」たちと同じで、「いち、にい、さん、たくさん」(あるいは「いち、にい、さん、これだけあればもうこれで十分」という感じで生きている。なので、シーベルト、ベクレム、○○の何○○倍、10の何乗といった方面の話は、そういうのが得意な人たちに全面的にまかせている。そういう自分をみて、わかりやすく解説をしてくれる友人たちもいるが、なにを聞いてもうわのそら、アンポンタンポカンである。そんなアンポンタンポカンの自分でも、
これはよくわかった。
これこそ、見えないものや感じられないものを視覚的に表現して目に見えるようにする「ソリューション・ワーク」としてのグラフィックデザインの役割であり、真髄だと思う。自分にはこういう仕事はできないので、そのかわりに、このグラフィックをみながら思いだした詩と音楽をつけて紹介したい。
▼「μSv:関東各地の放射能値の可視化」
http://microsievert.net/
汚れちまつたかなしみに
今日も小雪の降りかかる
汚れちまつたかなしみに
今日も風さえ吹きすぎる
汚れちまつたかなしみに
たとえば狐の皮衣
汚れちまつたかなしみは
小雪のかかつてちぢこまる
汚れちまつたかなしみは
なにのぞむなくねがうなく
汚れちまつたかなしみは
倦怠のうちに死を夢む
汚れちまつたかなしみに
いたいたしくも怖気づき
汚れちまつたかなしみに
なすところもなく日は暮れる
中原中也
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そして今日もまた、なすところもなく日が暮れようとしているが、汚されたものに対する怒りのエネルギーの方は、日を追うごとにますます強くなり、積もりに積もったその怒りは、たえず沸騰し続けている。