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いる・こもんず 【普通名詞】 01| ありふれて変なもの 02| 扱いにこまる共有物 03| 分けても減らぬもの 04| 存在とは常に複数で他と共にあり、狂えば狂うほど調子がよくなる
はじめに、ふた、ありき

イルコモンズ編
見よ ぼくら
四人称複数
イルコモンズの旗
(Amazon.comで
大絶版廃刊中)
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▼「民の声/STOP NUCLEAR POWER PLANTS/KOENJI TOKYO」


 現代美術家・藤井光が撮影した「4.10原発やめろデモ!!!」の映像。スタイリッシュな作風で知られる藤井が焦点をあてたのは、デモクラシーのワイルド・サイド、資本や権力に飼い慣らされない「民」たちの声である。「民」とは誰か。それは市民ではない。国民でもない。それはデモクラシーのはじまりの場に「スキャンダラスな存在」として姿を現し、不届きな声をあげた、あの鼻つまみ者の「民=デモス」たちである。ランシエールはこう書いている。

 「デモクラシー(=民主主義)は、代議政体の形式でもなければ、資本主義の自由市場の上に建てられた社会の形態でもありません。デモクラシーということばに、それがもともと持っていた「スキャンダルの力」を与え返さなければならないのです。そもそもデモクラシーを支持しない者たちにとってデモクラシーとは、下層民や群衆など「統治する資格を持たない連中による統治」という意味であり、つまり、デモクラシーとは「侮辱のことば」だったのです。自然にしたがうなら、統治というものは、統治する資格をちゃんと持った者たち、すなわち、富の所有者や聖職者、家主、知識人、専門家といった者たちに帰されるべきはずのものです。しかし政治的な共同体を存続させるには、「権限を持つ者たち」と「権限を持たない者たち」との関係を平等のレベルに立ちもどらせる必要があるのです。この意味で、デモクラシーとは、あらゆる支配を「そのはじまりの非合法性」に投げかえす政治そのものの基礎ということになります。」

 ランシエールによれば、デモスとは、デモスの分際で(あるいは、デモスのくせに)政治や社会に口出しするなど「とんでもない」と考えられていた「とるにたらない者たち」のことで、支配者の耳には、そうしたデモスたちがあげる声は、まともな言葉を話せない獣たちの叫びや雄叫びにしか聞こえなかったという。デモでコールされる声には、そうしたデモスたちの叫びの遠い響きが宿っている。それは理性的なことばではなく、くりかえしのなかで意味を蒸発させたことばの羅列だが、藤井が聞き取ろうとしたのはそれだ。パンクスのくせに、フリーターのくせに、ニートのくせに、学生のくせに、子どものくせに、素人のくせに、とるにたりないものたちの分際で、国の原子力政策や経済政策に口をだすなど「とんでもない」と思われているデモスたちがあげるノイズだ。最悪のレベルの放射能汚染によっておびやかされている共同体を存続させるために必要なのは、政府、東電、保安院、経団連という「原子力の統治者」たちから、その資格と権限をとりあげ、ものごとをもう一度、デモクラシーの原点にひきづりもどすことである。やかましくてうるさいデモクラシーの原点へ。
by illcommonz | 2011-04-13 00:02
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