原発がおそろしく、残酷なら、
それに対応し、のりこえて、
新たに切りひらく運命、
そのエネルギーは、
それだけで猛烈で、
新鮮でなければならない。
でなければ原発は、
ただ災難だった、
押されっぱなし
ということになってしまう。
自分は災難にあわなかったという、
今さらながらの安堵感。
なんという、にぶさだろう。
ナンセンスだ。
明らかに筋がすりかわっている。
現在、爆発し続けている問題。
それをデモにくる一人一人が、
自分のこととして確かめ、
そして爆発しつづけることが
本来なのだ、未来なのだ。
すべての人が、
それぞれの責任、個性に応じ、
あらゆるイマジネーションに
彩られた粉飾をまといながら、
平気でぶつかりあう。
そして緊張したハーモニーを
もりあげてゆけば、世界は充実し、
高揚してゆくだろう。
岡本2011太郎「原発ゼロ年」
「仁治二年(1241年)、博多で疫病が流行したため、宋から帰朝した承天寺の開祖・聖一国師(円爾弁円)が、博多・津中の人々に請われて、彼らの担ぐ施餓鬼棚に乗って疫病封じのため祈祷水(甘露水)をまいたことから来ています/今宮神社は古来疫病を祀り、疫病を祓うために御霊会が行われてきた古社である。この閑静な社は、疫神を鎮めるために設けられた異界なのである。正暦5年(994年)には、洛中に疫病が流行したために、神輿を作り当社から素戔嗚尊を担ぎ出し、船岡山で御霊会が営まれた。そして山頂の磐座(いわくら)で荒らぶる素戔嗚尊を鎮めたという。/祭の起源は古く、平安時代に疫病が流行する桜の花の散る頃に疫病を退散させるために「花しずめの祭」を行ったのが始まりといわれています。赤や黒の飾り髪を振り乱しながら鉦や太鼓を鳴らし疫病退散の願いをこめて舞い踊ります。/蘇民祭は、古来疫病退散を祈願して行われた行事です。胡四王神社は、大同2年(807年)に坂上田村麿が東征の折、将兵の武運と無病息災を祈願して薬師如来を祀ったことから、この疫病退散を合わせ、国家安穏、五穀豊穣、村中安全を祈願して、慶応元年から蘇民祭が行われるようになりました/上野天神祭の見どころば鬼行列である。疫病退散の祈りを込めて恐ろしくもユーモラスな面を着けた悪鬼、八天、小鬼、ひょろつき鬼たちが町を練り歩き、観衆を喜ばせる。」
グラフィックデザイン+現代美術+文化人類学+素人の乱
「あたしらは、いま、
ふつうの状態じゃないんだ。
ふつうの状態でないときに、ふつうのやりかたじゃ、まにあわないんだ。」
イルコモンズ(現代美術家/文化人類学者)