
「放射線の影響は、実はニコニコ笑ってる人には来ません。クヨクヨしてる人に来ます。
これは明確な動物実験でわかっています。」 山下俊一(長崎大学教授)
自分は「構造主義」の時代に文化人類学を学んだ人間なので、人間の思考には二つのタイプがあると教えられた。ひとつは「科学的な思考」であり、もうひとつは「野生の思考」である。前者は抽象的な概念や数値によってものごとを理解しようとし、後者は
アナロジーによってものごとを理解しようとする。かつて「未開人」や「野蛮人」と、まちがって呼ばれていた人たちは、後者の思考をきわめて巧みに用いる。一方、かつて「文明人」や「近代人」と、まちがって呼ばれていた人たちは、それを「非科学的」や「非合理」だとバカにしたが、レヴィ=ストロースは、そうした人たちのなかにも「野生の思考」があることを明らかしてみせた。ただし、近代以降の社会で、そうした考えを人前でおおっぴら口にしてよいのは、詩人、芸術家、宗教家、それと子どもくらいのもので、科学者にはそれはゆるされていない。とそう思っていたのだが、長崎大学ではそうではないらしい。それはさておき、自分は人類学者のはしくれで、しかも現代美術家なので、ほうっておくとすぐに「野生の思考」をする。たとえば、野生のの思考はこんなふうに考える。すなわち、原発の「炉心」がメルトダウンしたのだから、原発が事故を起こさないと信じてきた人間の「心」だってメルトダウンするはずだと。そしてそれはやがて「モラル・ハザード」というかたちであらわれてくるはずだと。もちろんそうならないことを祈りたいが、たぶんそうなると思う。今回の原発事故によって撒き散らされた目に見えない放射線は、ただちに身体に影響を及ぼさないかもしれないが、人の心にそろそろ目に見えない影響を及ぼす頃だと思っている。

溶融した炉心の燃料棒