【問題】 誰かにあてた手紙やメッセージというかたちで、自分でこたえることのできる問題を自分でつくり、その問題に自分で答えをみつけ、それを自分で評価してください。(パソコン、携帯電話、電子辞書、本、プリント、友人、家族、すべて持ち込み可、グループでの協力と共同制作可、メディア(文字・音楽・映像・グラフィック・マンガなど)は自由、ただし、自分を点数や記号で評価しないこと)
▼参考プリント1「人類の進化/退化」
▼教材映像「生命のフーガ」
▼参考プリント2「これが現在の人類です」
▼教材映像「地球の音」
▼参考プリント0「IT文明人類学」
[過去の答案例]
▼平成19年度「文化人類学解放講座」前期試験答案集
http://illcommonz.exblog.jp/5822249/
▼平成19年度「文化人類学解放講座」後期試験答案集
http://illcommonz.exblog.jp/7051941/
▼文化人類学解放講座・答案解放その1
http://illcommonz.exblog.jp/4574257/
▼文化人類学解放講座・答案解放その2
http://illcommonz.exblog.jp/4574278/
【参考資料】
「明治六年に全国ではじまった学校制度は、①先生が問題を出す、②その正しい答えとは先生の出す答えだ、という前提にたっており、生徒自身がそれぞれ、6歳までに知っていることの中から自分で問題をつくり、答えを出すということは除外されている。もし大学まで進むとして、十八年、自分で問題をつくることなく過ぎると、問題とは与えられるもの、その答えは先生が知っているもの、という習慣が日本の知識人の性格となる。今は先生は米国。[...] 教師も、明治以前の寺小屋の気風を受け継ぐ時代から離れて、大学教育学部養成の教師たちになると、知識人共通の性格から自由ではない。[...]そのときの光背を失わずに、点数によって人を見ない運動を続けている人は、現代の中で私の知る限り、無着成恭だけである。こうした姿勢を日本の教師は、小・中・高・大を通して失った。無着成恭が僧侶になったのは、今の日本の学校に彼のいる場所がないからだ。[...]日本の大学は、日本の国家ができてから国家がつくったもので、国家が決めたことを正当化する傾向を共有し、世界各国の大学もまたそのようにつくられて、世界の知識人は日本と同じ性格を持つと信じられている。しかし、そうではない。(以下略)」 鶴見俊輔「夏休みが終わって」より
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[追記] ことしの答案