「二千人以上が参加した新宿のデモでは、過剰警備で逮捕者が相次ぎ、警察官から暴行を受け流血した人もいた。あらためて喪失感にうちのめされた人、故郷の再建に汗を流すと誓う人、原発に依存しない社会を目指してデモに参加する人。区切りにならない一日をさまざまな思いが交錯した。」(東京新聞 2011年 9月13日)
いまのこの状況で、「楽天的すぎる」とか「妄想だ」と思われるかもしれないが、おとといの9.11のデモはやはりひとつのおおきな区切りで、あのデモを境に、自分たちは勝ちはじめているような気がしている。あの過剰警備のデモのどまんなかで、なぜか急に「原発がとまる日」の光景がみえた気がした。「原発が廃止になる」というニュースをきき、それをよろこびあう人たちが顔がみえ、声がきこえたような気がした。なぜ急にそんな気がしたのかわからないが、それほど遠くない未来に、「やっぱりあのデモが境目だったのだね」と、そう語りあう日がくるような気がしたのだ。あたまがおかしくなったのだろうか。
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[追記] そう思ったのは、「エジプト革命」のことを思い出したからかもしれない。1月25日から何日目かに「もうこれでおしまいか」と思ったところから、タハリール広場がふたたび息をふきかえし、いくつもの奇跡をおこしていった、あの展開を思いだしたからかもしれない。