「身捨つるほどの祖国はありや」(寺山修司)
飴屋法水作・演出の「じ め ん」の初演をみてきた。というより「参列」してきたというべきだろう。これから「参列」する人たちもいるので、ことの次第は省くが、ドイツ文芸批評の伝統的な分類に従うなら、「じ め ん」は、3.11以後の日本の国民的「哀悼劇=Trauerspiel」ということになるだろう(ドイツ以外の国では、この「哀悼劇」のことを「悲劇」とよぶ)。先だって「アトミックサイト」が演じてみせた原発グランギニョル劇「原発供養ノ夜」は、その名の通り、「原発」を先取り的に「供養」してみせるものだったが、「じ め ん」が、1945年の過去と2051年の未来のあいだのどこかで「哀悼」してみせたのは、それとはべつのものである。それは「近代と呼ばれる時代のどこかで創生されたもの」で、国民的規模の「共同幻想」であるが、「じ め ん」はその「ゆめ」の終わりを哀悼するセレモニー(儀式)であり、群集劇であった。「じ め ん」は、3.11の原発事故によって、それを喪失してしまった者たちの「ゆめ」に幕引きをし、落とし前をつけるものであった。それは3.11以後に生きのびた者たちの誰かがひきうけなければならならない困難な務めであり、「じ め ん」はそれを、演劇に(とりわけ古代において儀式の場であった野外劇場で)しかやれないやりかたで、やってみせたと思う。それが「ゆめ」であれなんであれ、誰かが「身を潰す」ほどのやりかたで、それを弔うことなしには、ひとはその先へは進めないのだ。葬儀や通夜の席で参列者たちが最も心を痛めるのは、親を亡くした幼い子どもたちの行く末であるが、舞台から姿を消した演出家が最後に用意していた遺児たちの葬列は、「ゆめ」敗れたあとの、ちいさな群集たちが歩む「地平=じ め ん」を指し示していたと思う。