はじめに、ふた、ありき
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「野生の思考」に書かれているレヴィ=ストロースのわかりにくいブリコラージュ論を、ヴィジュアルや映像を使って、なるべくわかりやすく、具体的に紹介します。 ----------------------------------------------- ▼イルコモンズ編 「考えるな、みよ、きけ、おもいだせ、これがブリコラージュだ」 「プリミティヴ・サイエンス(=原始科学)」というより、「プライマル・サイエンス(第一科学」と名づけたいこの種の知識がどのようなものであるかを理解させてくれる活動が、現在のわたしたちのなかにもある。それは「ブリコーラジュ」とよばれる仕事である。 ▼郵便配達人シュヴァル たとえば「アール・ブリュット(アウトサイダー・アート)」「アール・ナイーフ(素朴派)」「郵便配達人シュヴァルの理想宮」「ジョルジュメリエスの舞台装置」などである。ブリコルール(ブリコラージュするひと)は、プロとはちがって、ありあわせの道具や材料を使って、自分の手で、ものをつくる人のことである。 ▼ジョルジュメリエスの舞台装置 ブリコルールは、多種多様な仕事をこなすことができる。しかし、エンジニアとちがって、それぞれの仕事にあった材料や道具がなければ仕事をはじめることができない、というようなことはない。そのつど「もちあわせ」の道具や材料でなんとかする、というのがゲームの規則である。だが、そのもちあわせの道具や材料は雑多でまとまりがなく、偶然の結果として、そこにあったものである。それらは、いろんなときに蓄積され、更新され、増えたりしたもの、あるいは、以前になにかをつくったり分解したときの残りものである。ブリコルールのことばを借りて云えば、「まだ何かの役にたつ」という原則によって集められた要素である。(ブリコルールは古い目覚まし時計を分解すると、その歯車をとっておく、それは「まだ使える」ものだからである。そのまま歯車としても使えるし、それとは別の用途にも使える)。 ▼ゴールドバーグ・マシン ブリコルールが仕事をしているところをみてみよう。計画ができるとブリコルールはりきるが、そこでまず最初にやることは「うしろむきの作業」である。いままで集めて持っている道具と材料の全体をふりかえってみて、何があるかをすべて点検するか、再点検しなければならない。特に大切なことは、道具や材料と一種の対話をかわし、目の前にある課題に対して、これらの材料からひきだせる可能な回答をすべてならべあげてみることである。そして、そのなかから採用すべきものを選択するのである。その可能性は、それぞれの材料がたどってきた歴史や、もともとの用途、その後の転用による変形によって限定されている。また、適当なものがみつからないところに、別のものを転用することもある。そのため、なにかひとつを選択するたびに、構造が全面的に再編成されるのである。 ▼サラ・ジー「無題」 エンジニアはつねに活路をみいだし、その「向こう」に進もうとするが、ブリコルールは好むと好まざるとにかかわらず、その「手前」にとどまる。なにかができあがったとき、計画ははじめの意図とは不可避的にズレてしまうが、これはシュールリアリストたちが「客観的偶然」と名づけたものである。 「いつの日にか、画家と同じように、自分の行動に先立つ何らかの適切なスクリーンが委ねてくれるものを、何らの改変も行わずに再現することを受け入れるような日がきてこそ、人ははじめて自らの身を処する術を知る。そうしたスクリーンは確実に存在する。 そこではすべての論理的原則が覆され、もっともらしさを無視する「客観的偶然」の諸力が出迎えにやってくることだろう。そして、このスクリーン上にこそ、人間の知りたいと願うものすべてが、燐光の文字で、欲望の文字で、綴られているのだ。(アンドレ・ブルトン) それだけではない。ブリコラージュの詩は、単になにかをつくったり、実行するだけではない。ブリコルールは、ものと対話するだけでなく、ものを使って「語る」。限られた可能性のなかから選択することによって、つくり手の個性や人生を語り、自分自身のなにかをその作品のなかに残すのである。 ▼イルコモンズ give piece a chance いろいろな出来事の痕跡や断片、ガラクタや破片を使い、中古品を用いて仕事し、それらをたえず並べかえて意味を見つけだそうとするのだが、それだけではない。科学は、無意味に直面したときにはあきらめて妥協するが、ブリコルールは無意味に抵抗し、無意味の世界からものを解放する者となるのだ。」(レヴィ=ストロース「コンクリート・サイエンス」から抜粋) 「野生の思考」とは、野蛮人の思考でもなければ、未開人や原始人の思考でもない。効率を高めるために、植えつけられたり、飼いならされた思考とは異なる、野生状態の思考である。「栽培された思考」は、歴史のある時期に、地球上のある地点に出現したものである。 ▼タハリール広場の抗議者 この両者が共存し、交配することもあるが、栽培されたものや飼いならされたものが、野生のものを絶滅させることもある。野生の動物や植物と同じように、いまなお野生の思考が比較的よく保護されているジャンルがある。アートの場合がそれであり、わたしたちの文明はそれに対して国立公園なみの待遇をあたえている。 ▼タハリール広場のモニュメント また社会生活のなかにも、まだ開発がすすんでないため、それにあてはまるジャンルがある。多くの場合、わたしたちには理解できない理由で、そこには依然として野生の思考が繁茂している。」(レヴィ=ストロース「コンクリート・サイエンス」から抜粋) しかし現代では、「マーケティング」や「ブランディング」などの「飼いならされた思考」がアートにはいりこみ、アートは「野生の思考」の保護区ではなくなりつつある。一方、アートが失いつつある「野生の思考」が比較的よく保護されている場所がある。それはストリートである。また、革命や非常時などに、サヴァイヴァルのための「野生の思考」が目覚めることがある。 ▼ロジェのサトンゲ ▼スタッフ・ベンダ・ビリリ 「彼らのほとんどは楽器らしい楽器を持たず、廃品や有り合わせの道具を楽器に転用して、つまり椅子に箒をくくり付けてをドラム・セット代わりにし、一斗缶に棒を付け、そこらで切ってきた電線を張ってギターの代わりにし、地声を張り上げて画一化されない独自の音色とフィーリングを求めて音を模索している。作品では、Jupiter Bokondji 率いる「Okwess International」というバンドが主にフィーチャーされている。キンシャサ産の手作りギターの名品「Almaz」、木の箱に竹ひごを束ねたものを乗せたキンシャサ風手作りドラム・キット、丸太をくりぬいた伝統的な片面太鼓「Mbunda」を駆使して演奏される、社会風刺とアイロニーに満ちた硬質のルンバ・ロック、内戦を生き延びキンシャサに流れ着いた戦災孤児たちの国内難民キャンプで彼等を支えるリンガラ語によるラップ、廃墟と化したビルを占拠する地方出身労働者たちのラガマフィン、コンゴ中を遍歴して450もの部族の歌を収集するシンガー・ソングライター、身体障害者のおっちゃんばかりで作られた和やかなルンバ・ブルースのバンド・・・それはそれは美しい、表情豊かな、多種多様なコンゴ音楽のドキュメンタリー。」(映画「Jupiter's Dance」評より) ▼コノノ NO.1 「自分のやることをあらゆる角度から徹底的に調べあげるのは、野蛮人と農民と田舎者である。それゆえ彼らがその思考から事実にいたるとき、その仕事は完璧である」。(バルザック) ▼ストリートドラム ▼サヴァイヴァル・リサーチ・ラボ 「神話の世界は、できあがったと思うやいなや、またすぐにバラバラになって、その断片からまた新しい世界ができあがってくるかのようだ」(フランツ・ボアズ) ▼トールバイク ▼「プデチゲ(部隊チゲは、韓国のチゲの一種。肉、野菜、豆腐などといった一般的なチゲの材料と共に、ソーセージ、スパムに代表されるランチョンミート、インスタントラーメンといった食材を辛味のスープで煮込んだ、大衆的料理である。在韓米軍部隊が多い京畿道議政府市が本場とされ専門店が軒を連ねるが、その由来には諸説があり、朝鮮戦争中やそれ以降の混乱期に在韓米軍部隊からの援助物資・放出物資・残飯を利用して作られたとも、韓国軍部隊の若い兵士が共同生活をする中で広まったともいわれる。」 ▼アルカイダの「ブリコラージュ・テロリズム」 -------------------------------------------------- 抽象的な概念や専門的な用語ではなく、具体的なかたちや色があるのも、音がするもの、感情や感覚に訴えるものを利用+転用するのがブリコラージュの特徴のひとつでもあるので、以後、この講義もそうしたブリコラージュのやり方ですすめてゆきます。
by illcommonz
| 2011-09-29 13:17
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