はじめに、ふた、ありき
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【教材A】 川上弘美 「神様2011」(2011年)/「神様」(1993年) 「カワカミヒロミが発表した『神様2011』は、「震災」後に現れた最も不可解なことばのひとつだった。カワカミヒロミは18年前に書いた『神様』という短編を書き直して『神様2011』を発表した。そして奇妙なことに、この二つの作品を同時に一つの雑誌に掲載したのである。それはなぜだろうか。カワカミヒロミがやったのは、書き直す前の作品と、書き直した後の作品を同時に並べてみせることだった。それがどんな作品なのか、その一部をここに引用してみた。『神様2011』は三つの「層」からできている。『神様』と『神様2011』で、変更が加えられてない部分はそのまま印刷されている。( )で括られた部分は、『神様』にはなく、『神様2011』に新たに書き加えられた部分だ。そして〔 〕でくくられた部分は『神様』にはあったのに、『神様2011』で削除された部分である。「あの日」の前と後で、世界はすっかり変わってしまった。簡単にいうなら「あの日」の後、世界には( )でくくられた部分が出現し、世界から〔 〕の部分は消失したのである。だから、わたしたちは、この『神様2011』を、掘り出された地層の断面のように読むことができる。そして、この「地層の断面」こそが、わたしたちが生きている世界の構図なのである。」(高橋源一郎「震災文学論」『恋する原発』(2011年)より) 「わたしのこの「読み」は突飛ではない。文学というのものは、このような「読み」によって成り立っている。そうでなければ、文学のことばには何の意味もない。文学というものは、これまでもずっと、気の遠くなるような長いあいだ、それを読む人びと、彼らが属している共同体の「倫理」を語ってきた。その共同体が危機に陥るとき、それはもっとも甚だしかった。通常とは異なった「読み」とは」、通常とは異なった「倫理」から、ものごとを見るということだ。」(同上) 【教材B】 文部科学省「放射線等に関する副読本」 [左] 2011年版 小学校児童用「放射線等に関する副読本」 「放射線について考えてみよう/小学生のための放射線副読本」(PDF:1.3MB 20頁) [右] 2010年版 小学校児童用「放射線等に関する副読本」 「わくわく原子力ランド/小学生のためのエネルギー副読本」(PDF 20.6MB 44頁) 「あの日」の前と後で、文部科学省(=国家)が、こどもたちに語るアトミック・ストーリーに、なにが出現し、なにが消失したのだろうか。「あの日」以来つづいている原発事故は、文科省が語ってきた「わくわく原子力ランド」の幻想に、どのような亀裂や断層を走らせたのだろうか。そういう通常とは異なった「読み」をしてみたのだが、読んでみて分かったのは、いまの文部科学省には「倫理」そのものがないということだった。第二次世界大戦での敗戦から二年後の1947年、当時の文部省は中学生たちに、あたらしく制定された憲法を、わかりやすく説明する教科書(のちに副読本となる)「あたらしい憲法のはなし」を刊行した。その本には「人はだれも差別されずに平等であり自由であり、幸せに一生を送る権利があること、民主主義と国際平和主義が、このちいさな地球のうえで人類が生き残ることのできる唯一の道であること、そして、人がただしく生きる道を説いた憲法」の精神が、こどもがよんでもわかる、わかりやすいことばで解説されていた。そこには戦前・戦中の軍国主義のあやまりへの反省があった。今回、そのような書き方だってできたはずなのに、文部科学省はそうしなかった。「あの日」をさかいに、原発の「安全神話」は完全に崩壊し、「わくわく原子力ランド」など、この世に存在しないことがはっきりしたはずなのに、文部科学省はこどもたちにそれをちゃんと語ろうとしない。あやまりをみとめようとしない。倫理がないというのはそういうことだ。なにが、文部だ、なにが、科学だ、くたばれ、文部科学省。こどもをなめるな。たちあがれ、こどもたち。いいたいことをいおう。 わたしのこのことばは突飛ではない。文学というのものは、このようなことばによって成り立っている。そうでなければ、文学のことばには何の意味もない。 (参考) 文部省「あたらしい憲法のはなし」(1947年) 青空文庫版 http://www.aozora.gr.jp/cards/001128/files/43037_15804.html
by illcommonz
| 2011-10-25 00:03
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