
みなさんの中には、こんどの原発事故に、おとうさんやにいさんを送りだされた人も多いでしょう。ごぶじにおかえりになったでしょうか。それともとうとうおかえりにならなかったでしょうか。また、震災で、家やうちの人を、なくされた人も多いでしょう。いまもまだ事故はおわっていませんが、二度とこんなおそろしい、かなしい思いをしたくないと思いませんか。原発をつくって、日本の國はどんな利益があったでしょうか。何もありません。ただ、おそろしい、かなしいことが、たくさんおこっただけではありませんか。放射線は人間をほろぼすものです。世の中のよいものをこわすものです。だから、原発をすすめた國には、大きな責任があるといわなければなりません。このまえのチェルノブイリの事故のあとでも、もう原発は二度とやるまいと、多くの國々ではいろいろ考えましたが、またこんな大事故をおこしてしまったのは、まことに残念なことではありませんか。
そこでこんどの憲法では、日本の國が、けっして二度と原発を動かさないように、二つのことをきめました。その一つは、原発も核兵器も、およそ放射線をばらまくものは、いっさいもたないということです。これからさき日本には、原発はないのです。これを原子力の放棄といいます。「放棄」とは「すててしまう」ということです。しかしみなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことを、ほかの國よりさきに行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。
もう一つは、よその國と爭いごとがおこったとき、けっして核兵器やその材料によって、相手をまかして、じぶんのいいぶんをとおそうとしないということをきめたのです。おだやかにそうだんをして、きまりをつけようというのです。なぜならば、いくさをしかけることは、けっきょく、じぶんの國をほろぼすようなはめになるからです。また、核戰爭とまでゆかずとも、國の力で、相手をおどすようなことは、いっさいしないことにきめたのです。これを核戰爭の放棄というのです。そうしてよその國となかよくして、世界中の國が、よい友だちになってくれるようにすれば、日本の國は、さかえてゆけるのです。
みなさん、あのおそろしい事故が、二度とおこらないように、また戰爭を二度とおこさないようにいたしましょう。
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文部省が1947年に書いた「あたらしい憲法のはなし」をリミックスしてみた。来年の「副読本」の手本にしたまえ>文科省
(参考)
▼文部省「あたらしい憲法のはなし」(1947年) 青空文庫版
http://www.aozora.gr.jp/cards/001128/files/43037_15804.html
(関連)
▼多摩美「芸術の発生学/3.11以後の比較文学論、くたばれ文科省」
http://illcomm.exblog.jp/14818646/