▼マイケル・ハート+アントニオ・ネグリ
「
ウォール街デモが示す新しい民主主義の可能性―市民の苦境を無視する政治への反乱」
「ウォール街を占拠せよ」というスローガンを掲げた抗議行動に、なぜ多くの人々が共感を示しているのか。その理由は、運動が「経済的不正義」という人々に広く共有されている問題意識に訴えかけているからだけではなく、政治的不満と政治的希望を明確に表明しているからだ。抗議行動がローアーマンハッタンのウォール街から全米の都市や町へと広がりをみせていくにつれて、企業の強欲さや所得格差に対する人々の怒りが米社会に充満していることがますます明らかになっている。だが、同様に重要なのは、民意をくみ取る政治的代議制度が欠落していること、あるいはうまく機能していないことへの反発が示されていることだ。どの政治家や政党が効率に欠けるとか、腐敗しているとかいったことではなく、政治制度における代議機能そのものがうまく働いていないことに対する人々の怒りが表面化しつつある。
ウォール街デモの政治的側面を理解するには、これを2011年に世界で起きた一連の抗議行動の流れのなかに位置づける必要がある。ウォール街での抗議行動は、5月15日以降、マドリードの中央広場で展開された抗議行動、そして、それに先立つカイロのタハリール広場での民衆デモに触発されている。デモの根底にあるのは、自分たちの民意が配慮されない現実に対する人々の不満と反発だ。問われているのは、代議制民主主義の危機に他ならない。「われわれの目の前にある民主主義が大多数の人々の考えと利益を代弁していく力を失っているのなら、現状の民主主義はもはや時代遅れなのではないか」。デモが問いかけ、求めているのは「真の民主主義」の再確立だ。」(「フォーリン・アフェアーズ・リポート」2011年11月号より)
3.11以後の日本政府の対応についても同じことがいえる。ただし日本の場合、「代議制民主主義はうまく働いてない」とか、「時代遅れ」とかというような話どころではなく、日本の「民主主義のようなもの」は、3.11以後のこの国の住民にとって「災い」でしかないと思う。TPPをめぐる政府の対応をみていても、そう思う。ほんとうのデモクラシーはいまどこにある?メディアはそれを報道しないが、エジプトで、スペインで、チリで、そして合衆国の路上で、いま、息をふきかえしている。