はじめに、ふた、ありき
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▼Occupy Japanese Consulate! / the letter from the world ニューヨ-クに到着して、ウォールストリートに行く前に、空港から直行した日本領事館前での反原発アクションの映像。最初の方に映っている「TEPCO 1% WE 99%」というボードが印象的だった。そう、放射線の前では、右も左も上も下も前も後ろもなく、ぼくらはみなほぼ100%リアルタイムの被曝者であって、その99%の人びとがつながれば1%の電力会社に負けることはないはずなのに、どうしてそうならないのだろう。ニューヨ-クにいるあいだ、高橋源一郎が書いた「分断線」のことをでずっと考えていた、そして、いまも考えている。 「あの日」から、ぼくたちは、たくさんの、目に見える、あるいは、目に見えない線で分けられてしまったような気がします。その線が何なのか、考えるつもりです。「あの日」から、ぼくたちの間には、いくつもの「分断線」が引かれている。そして、その「分断線」によって、ぼくたちは分けられている。それから、その線の向こう側にいる人たちへの敵意に苛まれるようになった。それらの「分断線」は、もともとあったものなのかもしれないのだけれど。大きく分かれた線がある。細かい線もたくさんある。はっきり見える線もある。けれどもほとんど見えない線もある。わかりやすいのは、「反・脱原発」派とそれに反対する人たちの間に引かれた線だ。そこには激しい応酬がある。それから、はっきりした敵意もまた、存在している。 細かい線と見えにくい線はたくさんあって判別が難しい。だから、一つだけ指摘しよう。それは「あの日」の後生まれた線であり、「あの日」以降の行動の指針をめぐる線だ。つまり、津波や震災で直接被害を被った東北への支援に重点を置く人と、原発に関わる問題に重点を置く人たちの間の線だ。もちろん、両方に関わる人も多い。それから「東北」派と「原発問題」派の間に表立った応酬はない。だが、この両者の間には、深い、対立の気分が内蔵されている。誤解を恐れずにいうなら「いまはそっちじゃないだろう」「優先されるのはこっちだろう」といういらだちの感情だ。本来、誰よりも共に戦うべき人たちの間に引かれてしまう、見えない線がある。見える線を挟んでの応酬は、どれほど厳しいことばが行き交っても、ある意味で健康だ。誰と誰が対立しているのかは明らかだからだ。だが、見えない線を挟む沈黙の応酬は暗い。無言の嫌悪の視線がそこにはある。その分断線は、誰が引いたのか。ぼくたちが自分の手で引いたのだ。その、いったん引かれた分断線は、二度と消えることがないのだろうか。分断線を越えること、分断線を消すことは不可能なのだろうか。自分が引いた分断線から、ぼくたちは出ることができないのだろうか。ぼくたちはばらばらだ。ばらばらにされてしまった。放っておくなら、もっとばらばらになるだろう。ぼくはごめんだ。やつらが引いた分断線なんか知るか。ぼくたちが自分で書いた分断線は、ぼくたちが自分で消すしかないんだ。」(高橋源一郎「あの日以降にできた分断線について」より抜粋)
by illcommonz
| 2011-11-20 21:56
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