「だれもぼくらをとめることはできないよ、だって、ぼくらはこどもなんだから」(NYCこども団)
「民主主義=デモクラシー」は、「デモスのくせに、政治に口出しをするなんてとんでもない」とか、「デモスの分際で、政治に口をはさむなんて、もってのほかだ」と思われていたデモスたちが声をあげることからはじまった。そのため、デモス(庶民)によるクラトス(統治)であるデモクラシーという語ははじめは侮蔑のことばであり、当時の支配者たちにとってそれは「スキャンダル」にほかならなかった。このデモクラシーの原点に寄せて、ジャック・ランシエールは、デモクラシーとは政治形態のことではなく、デモクラシーとはこのはじまりの「法外さ」へとたちもどることだという。そうだとしたら、「ほんとうの、ほんとうのデモクラシーは、デモスのなかのデモスである、こどもたちが声をあげること」だと思う。このことを、世界の、そして、日本のこどもたちに、ぜひ知ってほしい。そして、誰もとめることのできない法外なものたちの力を、かつてこどもだった大人たちに思い出させてやってほしい。花森安治がいうように、インテリは、わかり切ったことを、むずかしい言葉で言いまわして、ぼけっとしているだけで、ほんとうにものごとを変えることができるのは、「度しがたく、始末に負えない」、おんなこどもたちである。変わらない世界を変える、のこされた望みは、君たちにこそある。
[関連]
▼花森安治「内閣を倒した無学文盲の三人の女たち」
http://illcomm.exblog.jp/4032884/
▼アーキ・デモクラシーズ
http://illcomm.exblog.jp/7582112/