
「あの日」から、ぼくたちの間には、いくつもの「分断線」が引かれている。そして、その「分断線」によって、ぼくたちは分けられている。それは「あの日」の後生まれた線であり、「あの日」以降の行動の指針をめぐる線だ。つまり、津波や震災で直接被害を被った東北への支援に重点を置く人と、原発に関わる問題に重点を置く人たちの間の線だ。もちろん、両方に関わる人も多い。それから「東北」派と「原発問題」派の間に表立った応酬はない。だが、この両者の間には、深い、対立の気分が内蔵されている。誤解を恐れずにいうなら「いまはそっちじゃないだろう」「優先されるのはこっちだろう」といういらだちの感情だ。本来、誰よりも共に戦うべき人たちの間に引かれてしまう、見えない線がある見えない線を挟む沈黙の応酬は暗い。無言の嫌悪の視線がそこにはある。その分断線は、誰が引いたのか。ぼくたちが自分の手で引いたのだ。その、いったん引かれた分断線は、二度と消えることがないのだろうか。分断線を越えること、分断線を消すことは不可能なのだろうか。自分が引いた分断線から、ぼくたちは出ることができないのだろうか。ぼくたちはばらばらだ。ばらばらにされてしまった。放っておくなら、もっとばらばらになるだろう。ぼくはごめんだ。やつらが引いた分断線なんか知るか。ぼくたちが自分で書いた分断線は、ぼくたちが自分で消すしかないんだ。」(高橋源一郎)
一度、その分断線の外にでて、よその国からもどってくると、それがよりはっきりとみえる。いたるところに、ブービートラップのような分断線のワナがはりめぐされているのがわかる。それが自分でひいた線ならともかくも、やつらがひいた分断線に、手足をからめとられたり、縛られたりするのだけはごめんだ。もしその線が消せないものなのだとしたら、せめてそれを混線させてやろう、ひっちゃかめっちゃかに、もつれさせてやろう。