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いる・こもんず 【普通名詞】 01| ありふれて変なもの 02| 扱いにこまる共有物 03| 分けても減らぬもの 04| 存在とは常に複数で他と共にあり、狂えば狂うほど調子がよくなる
はじめに、ふた、ありき

イルコモンズ編
見よ ぼくら
四人称複数
イルコモンズの旗
(Amazon.comで
大絶版廃刊中)
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▼「たぶん時がたって、未来の世代は私たちに聞くと思いますよ。「あのとき、おまえは何をしていた」と」


 「誰でもそうですけれども、自分の命って、一回しか生きられない。時間を逆戻りできない。あっちの道も行ってみたい、こっちの道も行ってみたいと思っても、できないのであって、一回の命を生きるしかないとすれば、自分がやりたいことをやるのが一番だと思いますので、その意味では迷ったことは一度もないですね。だから苦しい現実ですね、私を支えているのは。あまりにも私からみると、ひどすぎると思うけれども、それがある限りは自分のやることもあるし、やりたいと思う、それだけです。「たぶん時がたって、未来の世代は私たちに聞くと思いますよ。「あのとき、おまえは何をしていた」と、聞くと思いますけれども、私はたしかに力がなさすぎて、負け続けたし、いまも国や電力会社の主張、宣伝ばっかりが、みなさんに届いているわけで、私の声なんか、ほとんど無力だけれども、それでも私は、自分のできることはやったと言いたいんですね、そのときに。いま自分がどう生きているかということが問われてしまうわけだから、答えるしかないと。」(小出裕章「VOICE」東京FMクロノス 2011年12月14日)

 自分も、小出裕章が話しているのと同じようなことをいつも考えるのだが、自分の場合、この問いにとり憑かれてしまっている気さえする。世界でなにか起きるたび、そのたびに、この時代に生まれ、この時代にめぐりあわせてしまった、ひとりの人間としての「応答能力=責任(responsibility)」が問われているのだ、という想念がとり憑いてくる。「あの時、あなたはどこで何をしてましたか?」と問いかけてくる声とその表情がありありと頭にうかぶ。たぶん、この苦しい妄想が自分をつき動かしているのだと思う。そしてそれはほんとに苦しい。いつかそれから解放され、楽に生きる日がくるのだろうか。

 「【質問①】 一連の原発事故関連作品を手掛けたきっかけや理由は何なのでしょうか?
 「あの時あなたはどこで何をしてましたか?」といつか誰かにそう問われたとき、ちゃんと返事ができる表現者でありたいと思い、アトミックサイトをはじめました。3.11以後「アートは無力だ」という言葉を何度か耳にしました。暴力や権力に頼らないという意味では、アートは無力ですが、無力であるからこそ、それに抵抗する姿勢がアートだと思います。僕はアートが無力だという人を信じません。「アートは無力」だという言葉が、何かの言い訳でないことを願います。」(イルコモンズ「アーティストたちが「3.11」後を描く本当の理由」2011年11月15日)

 「日本に暮らす多くの人たちにとって、3.11以後の数ヶ月間は、特別な時間だったと思います。そのとき・どこで・なにを考え・なにをしたかが、その人がどういう人物であるかを否応なく物語ってしまうような、そういうグランギニョル(=残酷な)時間だったような気がします。好むと好まざるとに関わらず、3.11以後の数ヶ月間は、誰の人生にとっても、特別な時間だったと思います。そして、これから数十年、いや、数世代にわたって、僕らは問われ続けることになるでしょう。「ア・ノ・ト・キ、ア・ナ・タ・ハ、ド・コ・デ、ナ・ニ・ヲ、シ・テ・イ・マ・シ・タ・カ?」と。アトミックサイト展は、監修者とその友人である表現者たちの、3.11以後の思考と実践と表現の集大成です。未来からの問いに対し、私たちは、「はい、私たちは、あのとき、「アトミックサイト」という展覧会をひらきました、これがその記録です。」と、未来の誰かにむかってそう云いたいと思い、この展覧会をひらきました。自分たちがめぐりあわせてしまった、この災厄の時代において、その時代のリアルな表現者でありたいと思い、この展覧会をひらきました。「アトミックサイト」は、みなさんの目撃と参加と協働を求めています。「想定外」の世界を想定する現代美術家とアクティヴィストたちが描いた「レヴェル8の世界」へ、どうぞおいでください。もうあまり時間がありませんので、ご家族・同僚・友人・恋人・みなさま、お誘いあわせのうえ、どうぞ、おこしください(監修者より)」(イルコモンズ「アトミックサイトからのお知らせです」2011年7月29日)

これまで数えきれないくらいデモに行ったが、
このデモには、
自分(たち)の尊厳がかかっているような気がしている。
自分(たち)は、こんなめにあってもなお、
ひとつも怒らないような、
そんな人間ではありたくない。
自分(たち)は、こんなめにあってもなお、
原発をとめようとしないような、
そんな人間ではありたくはない。
もし、いつか、どこかで、
被災地のこどもたちから、
「あのとき、あなたは、どこで、なにをしてましたか?」
とそう問われたとき、
ちゃんと返事のできる人間でありたい。
こどもたちのまえで、
はずかしくない返事のできる人間でありたい。
それが尊厳だ。
それは日本人としての尊厳ではなく、
ひとりの人間としての尊厳だ。
その尊厳をまもるために、
デモにゆく。
何度でもゆく。
(イルコモンズ「怒りの日のために(4)「4.10原発やめろデモ!!」ポスター+賛同文」2011年4月3日

 「ソノトキ、アナタハ、ドコデ、ナニヲ、シテマシタカ?」と「もし、いつか、どこかで、誰かに、そうたずねられたら…」という想像と、そのときの返事にこまらなくてすむようにという気持ちに後押しされて、いつもデモにでかける。もしいつかどこかで誰かにそうたずねられたときは、「アノトキハ、太鼓ヲ持ッテ、六本木ト、新宿ノ、デモニ、イマシタ」とそうこたえよう。「世界中で、数十万人あるいは数百万人の人たちが、いっせいにデモをしたその日、その数十万人あるいは数百万人の世界のデモに参加してました」と、そうこたえよう。「Think Global, Act Local」というのは、ほんとは、そういうことなんだと思う。デモに参加した人たちの数や日付は忘れてしまうかもしれないが、その日、自分もそこにいた、ということは記憶に残る。自分がそのとき「いるべき場所」だと思う場所にいれたことが大切だからだ。もちろん「いるべき場所」は人によってちがうし、また、そこにいたくても、いれないことの方がずっと多い。そういう人たちの分まで、そこにいようという気持ちでデモに出かけて行く。東京に住むということは、そういうことだと思う。」(イルコモンズ「そのとき、あなたは、どこで、なにをしてましたか?」2009年1月12日)

 自分にいつもこの問いをつきつけてくる誰かというのは、もしかすると、こいつなのかもしれない。

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 もしかすると、自分は、こどもだったころの自分に憑りつかれているのかもしれないと、いまふと思った。
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by illcommonz | 2011-12-21 23:51
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