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いる・こもんず 【普通名詞】 01| ありふれて変なもの 02| 扱いにこまる共有物 03| 分けても減らぬもの 04| 存在とは常に複数で他と共にあり、狂えば狂うほど調子がよくなる
はじめに、ふた、ありき

イルコモンズ編
見よ ぼくら
四人称複数
イルコモンズの旗
(Amazon.comで
大絶版廃刊中)
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▼環境世界アセスメント
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 「あいかわらず世の中は「環境、環境、環境」といっている。「環境」といわれても、具体的にどの「環境」を指してるのかピンとこない。「環境について考える」、とはいうが、いったいどの「環境」のことを、どんなふうに考えればよいのかわからず、あたまがわるくなったような気がする。生物学者のユクスキュルは、「環境(=Umgebung)」とよばれているもののうち、実はそのほんの一部だけが、ある主体(人間とか動物とか植物)の生存と活動にとって意味のあるつながりを持つにすぎないのであって、「環境」のなかには、それぞれの主体ごとに異なる多様な「環境世界(=Umwelt)」が共存しているとして、「環境」と「環境世界」とを区別してみせた。仮に前者を「大文字で単数の環境」だとすれば、後者は「小文字で複数の環境」といってよい。そして自分にとって、より大切なのは後者の方である。マクロ・ビオティックによると「自分が生まれ育った環境で穫れる食べものがその人の身体と健康にとって一番よい」らしい。この理屈でいけば、自分が生まれ育った土地の地勢や風景が、その人の精神とその安定にとって一番よいということになる。」(イルコモンズ「環境世界」より抜粋)

 という文章を書いたのは2010年の夏である。百聞は一見にしかず、自分が生まれ育った「環境世界」をみてみようと思い、生まれてから20代のはじめまで過ごした福岡の実家の半径数キロ圏内の航空写真を惑星のように加工してみたのが、上の画像である。

 この「環境世界」には「古賀」という地名があり、Wikipedia にはこう記されている。

 「福岡市から北東約15km、宗像市から南西約15kmの場所に位置する。西は玄界灘に面し、松原が広がる砂丘地帯である。北部と南部には丘陵地があり、それぞれ福津市、新宮町に接している。東部には三郡山地から延びる犬鳴山地がある。町中心部には、その山地から大根川(花鶴)が流れる。大根川と隣に流れる中川の堆積・扇状地で小平地を形成している。玄海国定公園の一角を担う花鶴ヶ浜(新宮海岸)や宮若市との町境にある西山など自然にも恵まれている。」(「古賀市」Wikipediaより)

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 一方、自分にとっては、こういう場所である。

 「家から歩いて10分くらいのところに砂浜があり、松林があり、海岸があり、海に注ぎこむ河がある。その河に沿ってゆくと、小さいながらも里山や原っぱがある。家のまわりの商店街は、2000年の大店法廃止にとどめをさされ、今では見るも無残なシャッター商店街となり、街の様子はすっかり変わってしまったが、この「環境世界」は今もあまり変わってない。子どものころは、ここが文字通り、自分が生きる「世界」であり、この「世界」のなかで遊んで育った。海岸でトランペットやドラムの練習をし、夏には海水浴やキャンプをした。海辺で水死体をみたり、潮干狩りや地引網をした。松林につくった秘密基地で生き埋めになりかけたこともある(死ぬかと思った)。山では山芋をほったり、ミカンをもいだりした。家の庭にあった砂場の砂は、砂浜から勝手にとってきたもので、海岸では誰からも文句を云われず、思う存分、楽器の練習や火遊びができた。」(イルコモンズ「同上」)

 そこは自分が自己形成した場所であり、どんなにさびれても、自分の精神とその安定にとってかけがえのない世界であることには変わりがない。

 2011年の大晦日、実家に帰省した際、この「環境世界」の「環境アセスメント」をしてみた。「環境アセスメント」とは、「環境影響評価のことであり、主として大規模開発事業等による環境への影響を事前に調査することによって、予測、評価を行う手続きのこと」のことだが、想定したのは、玄海原発が事故を起こした場合のことであり、自分の実家は玄海原発から半径60Km圏内に位置する。

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 半径60Kmというのは、福島第一原発から福島市や郡山市あたりまでの距離に相当する。今回の福島原発の事故では、半径50Km圏内に属する市町村が「賠償対象区域」になるらしいが、もちろん50km圏外にも放射線量の高い地域が存在する。なにより「環境世界」はひとつだけではなく、その周囲には自分の過去や自分とつながりのある人たちの「環境世界」が輻輳的にひろがっている。そうした「環境世界」の汚染は、そこを自らの「環境世界」とする人たちの精神とその安定を損わずにいないだろう。政府や東電は「健康への影響」のことばかりいうが、そこでは「精神への影響」のことが等閑視されているし、そこを故郷とする者たちの心性がまるで考慮されていない。

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 もし、ひとが自らの「環境世界」への立ち入りを禁止され、二度とそこにもどることができなくなったら、そこではなにが失われるだろう。ものごとに迷ったとき立ち返るべき原点をなくした精神は、どこへ立ち返ればいいのだろう。年末から新年にかけて、実家でそのことをずっと考えていた。

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by illcommonz | 2012-01-04 17:50
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