はじめに、ふた、ありき
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そういえば今日は、自分の誕生日なのだが、誕生といえば、今年は祖母の生誕百年なのだということに気がついた。昨年は花森安治と岡本太郎の生誕百年で、たしかにこの二人からは大きな影響をうけたが、それと比べものにならないくらい、祖母からうけた影響は大きい。それをもういちど確認するために、昨年の3月に書いたものを、もういちどよみなおしてみた。 「これは、あなたが本当は何者であるかを試される瞬間です。あなた自身の真実の瞬間です。あなたの良心はまだ生きていますか。あるいは、あなたは人間性よりも利害関係を重んじますか? あなた自身の尊厳を証明し、私たちが人間性の回復を要求することを手伝ってくれるでしょうか。それはあなたが決めることですが、覚えておいてください。それはあなたが一生抱えていくことになる何かであり、いつかあなたはこの件で子供たちと正面から向き合わなければならないかもしれません。」(ある手紙より抜粋) エジプト革命のときから、ずっとその瞬間が続いているような気がする。「良心」や「尊厳」といったことはひとまずおいといて、次から次に起きてくる様々な局面で、自分が「ほんとうは何者であるか」ということを絶えず試されるので、考えることをやめることができない。気が休まるときがない。こんなことはめったにない。いや、めったにあってほしくないのだが、めったにないからこそ、いま・この瞬間にしかできないこととして、それをいつもより遠くまで考えようとする。より深いところまで遡って考えようとする。「何者か」というのは、たとえば、人類学者だとか、芸術家だとか、メディア・アクティヴィストだとか、そういうことではない。それはあくまで現在の肩書きや身上でしかない。そうではなく、自分の原点や過去とつながり、その根幹をなすような「何者か」のことである。こういうとき、どういうわけか自分は、まっすぐにものごとを考えず、ヨソから考えたり、ズレから考えるクセがある。簡単にいうと、変なところから考えはじめ、まわりくどく考えてゆくクセがある。たとえば、いま世界では、被災地の人びとの「我慢強さ」や「冷静さ」が「日本人」の美徳として称賛されている。人類学者の目からすると、こういうステレオタイプはまずあてにならないし、こういうステレオタイプはそれから逸脱する言動や行動を排除するあやうさをもっている。だがひとまずそれはさておき、自分は「日本人」かといえば、たしかに国籍はそうだが、自分では「九州人」だと思っている。全然、我慢強くないし、冷静でもない。なにより、いまそれを、政府やメディアが無理やり押しつけようとしているのが我慢ならない。だが、それもいまはひとまずさておき(この「ひとまずさておき」もそろそろ限界に近づいている)、いまは東京で暮らしているが、もともと生まれも育ちも福岡なので、自分が「何者か」を考えるには、やはり、生まれた土地の言葉や育ってきた過程で耳にした言葉がいちばんしっくりくる。逆にいえば、「尊厳」や「良心」といったことばは、どこか借りものの衣装のようで、自分の身になじまない。ひとはよく「自分のことは自分がいちばんよく知ってる」というが、たぶんそれは思いすごしか錯覚で、むしろ自分以外の誰かの方がよほど、自分が何者であるかということをよく心得ていると思う。そう思うので、これまで自分が生きてきた中で、ある時期、全幅の信頼を寄せ、かつ、大きな影響を受けてきた人物の言葉から、それを考えてみることにした。その人物とは祖母である。祖母が亡くなってもう二十年以上経つが、どういうわけか祖母が自分によく云っていた言葉を鮮明に覚えていて、特にこのところそれが、次から次に思い出され、よみがえってくる。ということは、そこからはじめるのがいいのだろうと思い、そうすることにした。祖母はよく自分にこんなふうに云っていた。 ................................. ・あんたは、ほんなごつ、きものほそかね。 ・なんでそげん、あたまのちのめぐりがわるかとかね。 ・ふぅたんぬるかねぇ。 ・ひとのこと、ばか、ていうもんが、ばかたい。 ・ばかちん ・こら、どげんした、へたくそまんきんたん、かいな。 ・だらくさにせんと。 ・かんしゃく、おこしたらいかん。 ・たんきは、そんき。 ・ぴしゃっと、せんといかんよ、ぴしゃっと。 ・いっぺんじゃわからんと。にへんもさんべんもせんと、わからんと。 ・いうてもしょうのないことは、いわんとが、りっぱ。 ・そのめんたまは、なんのためについとうとね。 ・そのあたまは、なんのためについとうとね。 ・そのくちは、なんのためについとうとね。 ・よそは、よそ、うちは、うちたい。 ・たべもんば、そまつにしたら、ばちがあたるけんね。 ・みっともないけん、だつだつせんと。 ・たいしたことなか。 ・めそめそしんしゃんな。 ・うじうじしたらいかん。 ・ほら、ようとみんしゃい、どげんなっとうね。 ・わからんことがあったら、ひとにききんしゃい。 きくとは、なぁもはずかしゅうなかと。 ・テレビばっかし、みよったら、あたまがぱぁになるけんね。 ・めばはなしたら、あんたは、どげんことでもするね。 ・ほら、かせいしちゃらんね、こまりよんしゃろうが。 ・じぶんのことは、あとまわしでよか。 ・ひとのことばっかり、あてにせんで、じぶんのことは、じぶんでせな。 ・ばかでよかけん、ひとのやくにたつひとになりんしゃい。 ・きょうでできることは、きょうのうちにしときんしゃい。 あしたできることも、きょうのうちにしときんしゃい、 そしたら、あした、てばなしで、あそべろうが。 ・よかよか。 ・きのすむまでしたらよか。 ・なんでんよか、あんたのしたいごと、すればよか。 ....................................... こんなふうに祖母は自分によく云いきかせていた。孫としてかわいがられたというより、人としてこんなふうに「ぴしゃっ」と仕込まれて育った。はたしてそれがどこまで自分の血となり肉となったかはわからないが、こんなふうにして「仕込まれた部分」と「仕込まれそこねた部分」の総和が自分であることにはまちがいない。もはやこれはとりかえしのつかないもので、おそらくよほどのことでもない限り変わらないだろうし、また変わらなくていいと思っている。祖母なら「そげなもんたい」というだろう。その祖母がよく口にしていた言葉がもうひとつある。 「ほんなごつ、あんたは、だれににて、そげんあるかね。」 そのときは自分が誰に似たのか分からなかったが、いまはよく分かっている。 「あばあちゃん、それは、あなたですよ。」 そう、自分は、自分の祖母に似た「何者か」であると同時に、祖母がそうありたいと願ったような「何者か」にいまだなりそこねている「何者か」なのだと思う。とはいえ、祖母の云うとおり、自分は「ほんなごつ、ちのめぐりのわるい、ふぅたんぬるか人間」なので、まだそこまでしか分からない。というか、「そげなもんたい」と思っている。
by illcommonz
| 2012-01-17 02:54
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