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いる・こもんず 【普通名詞】 01| ありふれて変なもの 02| 扱いにこまる共有物 03| 分けても減らぬもの 04| 存在とは常に複数で他と共にあり、狂えば狂うほど調子がよくなる
はじめに、ふた、ありき

イルコモンズ編
見よ ぼくら
四人称複数
イルコモンズの旗
(Amazon.comで
大絶版廃刊中)
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▼「みんなと一緒に見ることができる夢というのは」
▼「みんなと一緒に見ることができる夢というのは」_d0017381_4164711.jpg
 「昨日、シンポジウム「アートの社会的有用性」に参加した。

 シンポジウムは、第二部から参加した。毛利嘉孝さんの司会、大友良英さん、小田マサノリさん、村上タカシさんが登壇。とても面白いセッションだった。三者三様のアート観、アートと社会の関わりが提示されていた。

 小田マサノリさんは、このシンポジウムのパンフレットのエピグラフとして添えられた次の言葉を引用していた。

 「みんなと一緒に見ることができる夢というのは結局、"リアリティ"ということなのです。」―古橋悌二

 古橋悌二はダムタイプの中心的なメンバーだった人物である。

 小田さんは、デモもアートのようなものであると述べた上で、デモの中では、別の世界、具体的には原発が止まる社会が共に夢見られる、共に見る瞬間があるのだ、という主旨の説明を行っていた。2011年4月に行われた高円寺でのデモの映像を参加者に見せながら。その映像は、とても印象的な映像である。デモの全体を捉えるような俯瞰的なものではない。参加者一人一人と近い距離から、その顔、表情、しぐさをとらえている。小田さんが注目したのは、そこに映る女性と女性に抱えられた子供の姿だった。二人は、たくさんのドラムと参加者に囲まれ、音と声と体のグル―ヴが生まれる中で、こわばった表情から、穏やかな表情へ、そして解放されたような笑顔へと、その表情を豊かにしていった。小田さんは、この二人の表情の変化に、デモの力、アートの力を実感したという。デモは、アートは、別の世界、あるべき別の社会のあり方を、共に夢見て、そこへと進む力を与えるということだと思う。自分自身のデモの中での経験と、深く通じるものがあって、古橋の言葉、小田さんの解釈、そしてデモの映像へとつなぐ時間は、とても刺激的なものだった。

 村上タカシさんのプレゼンの中で、被災地に入った村上さん自身が、そこで何かアートを企てようとすると、警察に「なにをやっているんだ」と声をかけられた、というエピソードを紹介していた。それに困った村上さんは、行政から自身の活動を承認している旨の公文書をもらい、それを持ち歩き、時に警察に提示するようになったという。

 アートのような社会的活動は、現在、常に警察をはじめとする権力によって、管理されている。アートのような社会的活動が生き生きと生まれ、営まれる場所は、切り縮められてきた。このことを、このエピソードは端的に示していたと思う。権力によって認められるアートと、認められないアートとに分け隔てられているのだと思う。

 小田さんが示したのは、あきらかに、権力から認められないアートだ。おそらく、社会をラディカルに変える力を持っているのも、そちらのほうだろうと思う。

 不審であるアート、不審者であるアーティストとは、私たち一人一人そのものだと思う。

 そのような不審ならざるをえない私たちは、どのような緊張関係の中で、顕在化しきれていない力を発揮し、別の世界を夢見ることをやめずに生きていけるだろうか。それがアートをめぐって、運動をめぐって、問われていると思うのだ。

 「みんなと一緒に見ることができる夢というのは結局、"リアリティ"ということなのです。」

 この言葉に出会えて、肩の力がすっと抜けて、世界がかわって見えた、そんな一日だった。ありがとう。」

▼mitsuakick「みんなと一緒に見ることができる夢というのは」(「in transition」2012年01月23日)より抜粋

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 時間の制約があって、うまく言葉で伝えきれなかったことを的確に補ってなおあまりある感想をもらった。伝えたかったのはまさにここに書かれていること。デモをやっていると、ときどき魔法のような瞬間がある。そのときデモは「予示的政治」の表現のメディアとなって、デモが夢見る未来の社会の姿を路上に出現させる。変わらないと思いこまされている現実に亀裂を走らせ、その向こう側をかいまみせてくれる。藤井光が撮影した4月10日の高円寺のデモの映像(YouYube未公開)には、その魔法の瞬間が見事に映りこんでいた。もし時間がゆるせば、このデモのときに思い出していた、祖母に手をひかれて生まれてはじめて見たデモのことや、イラク戦争のとき「殺すな」で参加した最初のデモのことを話したかったのだが、それはいずれまた別の機会に話せるだろうし、そのときは、この言葉もぜひ一緒に紹介したいと思う。「ひとりで見る夢はただの夢、みんなで見る夢は現実となる」(小野洋子)。
by illcommonz | 2012-01-24 04:41
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