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いる・こもんず 【普通名詞】 01| ありふれて変なもの 02| 扱いにこまる共有物 03| 分けても減らぬもの 04| 存在とは常に複数で他と共にあり、狂えば狂うほど調子がよくなる
はじめに、ふた、ありき

イルコモンズ編
見よ ぼくら
四人称複数
イルコモンズの旗
(Amazon.comで
大絶版廃刊中)
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▼亡びゆく者たちと生きのびてゆく者たち

▼「石原知事会見 住民投票条例制定について」210

 「私がいいたいことは、福島の原発事故以来かまびすしい原発廃止論の論拠なるものの多くの部分が放射線への恐怖というセンチメントに発していることの危うさだ。恐怖は何よりも強いセンチメントだろうが、しかしそれに駆られて文明を支える要因の原発を否定してしまうのは軽率を超えて危険な話だ。軽量の放射能に長期に晒される経験は人類にとって未曽有のものだけに、かつての原爆被爆のトラウマを背負って倍加される恐怖は頷けるが、しかしこうした際にこそ人間として備えた理性でものごとを判断する必要があろうに。理性的判断とはものごとを複合的に捉えてということだ。ある期間を想定しその間我々がいかなる生活水準を求めるのか、それを保証するエネルギーを複合的にいかに担保するのかを斟酌計量もせずに、平和の内での豊穣な生活を求めながら、かつての原爆体験を背に原子力そのものを否定することがさながらある種の理念を実現するようなセンチメンタルな錯覚は結果として己の首を絞めることにもなりかねない。人間の進化進歩は他の動物は及ばない人間のみによるさまざまな技術の開発改良によってもたらされた。その過程で失敗もありその超克があった。それは文明の原理で原子力もそれを証すものだ。そもそも太陽系宇宙にあっては地球を含む生命体は太陽の与える放射線によっても育まれてきたのだ。それを人為的に活用する術を人間は編み出してきた。その成果を一度の事故で否定し放棄していいのか、そうした行為は「人間が進歩することによって文明を築いてきたという近代の考え方を否定するものだ。人間が猿に戻ると言うこと」と吉本隆明氏も指摘している。人間だけが持つ英知の所産である原子力の活用を一度の事故で否定するのは、一見理念的なことに見えるが実はひ弱なセンチメントに駆られた野蛮な行為でしかありはしない。豊かな生活を支えるエネルギー量に関する確たる計量も代案もなしに、人知の所産を頭から否定してかかる姿勢は社会全体にとって危険なものでしかない。」(「石原慎太郎 原発に関するセンチメントの愚」 産経新聞 2012年2月6日)

 ほんとうに「厄介」なのは、こういう「文明」や「進歩」の妄信者たちで、こんなふうに「文明だ、進歩だ」とやたらと口にしたがる、勇ましいばか者たちの「おごり」と「たかぶり」が文明と科学を暴走させ、そのたびに悲惨な衝突と惨事を繰り返してきた。とりわけ近代の破滅へのハイウェイは、文明のアスファルトと科学の交通標識(そこには「進め」と「Uターン禁止」しかない)でできている。「原発に反対するのは猿と同じだ」などと人前で平気で口にできる傲慢な者こそ猿と同じで、本当にのりこえなければらないのは、こういう老いたる霊長類どもの「傲慢」や「不遜」さだと思う。他人の「トラウマ」や「センチメント」を「錯覚」や「野蛮」だとばかにしてかかるのは、近代人特有の「コンプレックス」や「ルサンチマン=怨念」があるからで、その裏返しなのだろうが、そういう分析をしてもあまり意味がないし、そもそも「近代」という時代そのものがとっくに終わっているので、近代ではなく、いま、センチメントでもトラウマでもないところから発せられている声をきいてみよう。これをきけば、「どちらが正しく、どちらが愚かか」ではなく、「どちらが亡びゆく者たちで、どちらが生きのびてゆく者たちか」がわかると思う。


▼藤波心「さようなら原発」2.11

 とりかえしのつかない出来事からなにごとかを学びとり、反省する謙虚さや、自分の生き方を変えようとする柔軟さを持たない者たちに、どのみち未来はないだろう。せいぜい醜態をさらし、己の首を絞めるがよい。次の世代は、それを人類の悪しき手本とし、反省の糧としながら、その亡骸の上をすすんでゆくだろう。それが「豊かな生活」よりも、まっとうに「生きること」を選んだ人間たちの、ちっぽけだけど、ささやかな英知だ。
by illcommonz | 2012-02-13 12:41
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