はじめに、ふた、ありき
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いうこというこというこということ いうこと聞かせる番だ俺たちが 黙ったまんまじゃ殺される国が 人の住めない土地に変えたんだ 無能なてめーら好きにさせていた 昨日のてめーじゃ単なるヘイター 人が死ぬのをわかっててやめない 反対すると非国民あつかい なんかに似てるとにかく狂ってる 67年前のボロ負けで 終わったはずのあの戦争を 続けたかったやつらの夢 それが原発だ間違いねー だからもうとっくの時代おくれ 死に損ないじじいのノスタルジー 勃たなくなったチンポのかわりの シンボルそれがいきりたつ原子炉 そんなもんにつきあってられるか 署名投票デモンストレーション いうこと聞かせる番だ俺たちが 「歌詞は先日客演させていただいた田我流fromSTILLICHIMIYAさんのセカンドアルバム(http://wenod.com/shop/japanese/dengaryu_bkyueuga.html)の収録曲からのものです。」(ECD「2012 2/20 経産省前原発再稼働抗議」) 「朝、石田さんが娘達を保育園へ。私は数日前からひどいアレルギー症状のため耳鼻科へ。朝一ですでに10番目だったが、一人なので待ち時間は優雅にアエラの原発関連を一気読み。10時過ぎ、石田さんの出勤に合わせて一緒に家を出る。今日こそ経産省前へ。昨日の間に、最近知り合ったママ友を誘ってみると、参加すると言ってくれたので現場で待ち合わせることに。霞ヶ関を降りても、いまいち出口が分からず、座り込みに参加しそうな女性の後を付いて行く。A12出口から出ると、すぐに案内の人がいたので受付の場所を聞き、報道に取り囲まれている受付で恐る恐る名前を書いてから最後尾へ行ってみる。昨日は700人程集まったらしいが、今日はまだそこまでの人数がいる感じではない。参加しているのは女性がほとんどで、最後尾の日向に腰をかけると、やっと緊張がほぐれる感じがした。隣に座っているおばさんに「若いのにこういうところに来て偉いわね」と褒められる。おばさんが初めてデモに参加したのはイラク戦争の時に自衛隊が派遣される時のものが初めてだったそうです。千葉に住んでいるけど、実家は福島にあると言います。そこに住んでいる孫が心配で仕方ないそうです。いろいろと話していて、私が、まさか自分がこんな政治活動に参加することになるなんて思ってもなかった、原発は気づいたらそこにあっただけで、それを望んだりしたことは一度もないのに、と言うと「そうでしょう、私たち大人が原発を許してきてこんなことになって、子ども達には何の罪もないのにね」と言われました。 今度は隣に、車いすの人と、それを押すヘルパーさんらしき人が二人でやってきました。車いすの方は福島の田村市でヘルパーの事業所をやっているそうで、今回は東京に講演会で来たついでにここに寄ったと言っていました。今日も知り合いがたくさんいるらしくいろんな人が声をかけてきます。事業所は原発からは40キロ離れているところにあるそうです。「若い人は少なくなりましたか?」と聞くと、避難区域も解除されて安心って言われてるようなもんだから、どんどん人が戻ってきて、前と変わらなくなってきた。年配の人が多いから、ジジババを置いて行くのかって言われたりしてなかなか疎開出来ない人もいる。知り合いの子どもが鼻血を出したり心臓が痛いって言ってるのも聞いた。それでも、自分の事業所で働いてる若いお母さんには、疎開しろって勧めるけど、「事業所に疎開しろって言われたから」って言って、やっと家族に言えるって人もいる。それでも、疎開を勧めた私が責任とれるわけじゃないから・・・田舎にはいろんなしがらみがある。「目に見えない放射能を信じるのは、新興宗教を信じるのと一緒だ」って批判された人もいる。 車いすを押すヘルパーさんにも話を聞くと、その方は小学3年生と1年生の子どもがいて、二本松というところに住んでいると言っていました。引っ越した人もいるけど、小学校の対応も周りの対応も人それぞれ。私は目が見えないのですが、中国人で、日本に嫁いで、家族もいて、子どももいて、働いていて・・・とにかく子ども達が健康に育ってくれるのを祈るしかない、怖いです。言葉に詰まりながらも、考えてひと言づつ私に伝えてくれました。座り込みから今度は経産省の前へ皆で移動。お昼時でランチに出て来る経産省の人達にアピールします。私も福島の車いすの方達と移動し、シュプレヒコールをしたり、スピーチを聞いたり。気づくと一緒に来てくれたママ友は誰よりも熱心にビラ配りをしていました。福島から来た人のスピーチなんかを聞いているとどんどん悲しくなってきて、それが怒りに変わり、気づけば本気で叫んでいました。みんなで歌い始めた「ふるさと」の歌に涙が出そうになったり。さっき話を聞かせてくれた福島の中国人のお母さんは、もう行かなければいけない時間らしく、「ありがとう、いつかまた会いましょう」と言い、私の手を強く握り去って行きました。私は初めて福島の人の声を直接聞いて、初めてハッとしたというか、今まで福島はどこか週刊誌やインターネットの中の出来事、遠い話のように感じてしまっていたのでした。あんな風に原発があるばっかりに苦しみながら生きていかなくてはならない人がいる事実、福島しかり、東京しかり。福島の人の話は切なくて辛くて、きっと二度と会えないだろう、名前も聞けなかったあの中国人のお母さんとの握手は、ずっと忘れないと思います。 一時間程アピールをし、ランチタイムも終わった13時過ぎにはとりあえずの解散。また座り込みに戻りました。私はママ友と合流し、座り込みつつお昼ご飯にすることに。何も持って来ていなかったのですが、ママ友がおにぎりを買って来てくれていたのでそれを貰い、また差し入れといって主催の人からもおにぎりを貰う。このママ友と二人で会うのは初めてで、お会いするのは3度目なのに、今日一日を通して不思議な友情が芽生えたような。天気も良く、女性達は皆明るく、これが反原発の座り込みということを忘れさえすれば、本当にただの賑やかな明るい集まりなのに。そろそろ帰ろうか、と駅までの陽が斜めになった道を歩いていると、この状況は平和だか何なんだか、悲しいような嬉しいような複雑な気分になったのでした。座り込みのはずが、立ちっぱなしで腰を痛める。道のりは続く。」 (植本一子「働けECD」2011年10月28日)
by illcommonz
| 2012-02-24 14:02
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