はじめに、ふた、ありき
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「相手が堕落してしまっていて、権力を使って他の人びとを苦しめる場合、相手のそんな行為を防ぐために、何か「行動」する必要があります。時にはあえてプレッシャーを創る必要があるかもしれません。」(ティク・ナット・ハン) 「ある種のスピリチュアルな実践を一切持たないアクティヴィストは、遅かれ早かれバーンアウトに達するが、何らかのスピリチュアルな実践がある人は、再び活気を取りもどし、情熱を燃やし続けるためのやり方にいつでも戻ってくる、というスターホークによる知見もあります。スピリチュアルな実践とは瞑想、自然の中を歩くこと、パーマカルチャー農法や庭の手入まで含まれるでしょう。基本的には、良いもの、美しいものを感受し、地球のすべての生きものを肯定する感覚を育てることなら何でも含まれます」(「息の長い反/脱原発運動のためのヒント」) 自分は、アフリカでシャーマンの弟子をしていた割には、「ある種のスピリチュアルな実践」とほとんど縁のない生活をしている。せいぜいのところ、ヨガのかわりにクラリネットやユーフォニウムを吹き(これはよい「息」のコントロールになる、特にバグパイプはすごい)、自然の中を歩くかわりにデモで街を歩き、「座ってする瞑想」のかわりに「歩きながらの瞑想」をするくらいである。スピリチュアル関連のもので読んだことがあるのは、カルロス・カスタネダとティク・ナット・ハンくらいだが、ティク・ナット・ハンの「行動する仏教」という考えは気に入っているし、自分の趣味や嗜好にあった「リトリート(ひきこもり)」を自分で考案して自分の家で実践するのもわるくない考えだと思って、毎年、冬に実行している。 ティク・ナット・ハンはこう云っている。 「瞑想は社会から離れ、社会から逃げ出すことではなく、社会への復帰の準備をすることです。これを私たちは、「行動する仏教」と呼んでいます。瞑想センターに入るとき、家族、社会、そしてそれにまつわるすべての煩わしさを離れ、個人としてやってきて、瞑想を実践し、平和を求めるのだという印象をうけるかもしれませんが、これがすでに錯覚です。なぜかというと、仏教においては、個人としてある(存在する)ということはないからです。抵抗は可能です。なぜなら、志をともにする共同体の身があるからです。私たちは一緒に抵抗することができます。自らを失うような生きかたに抵抗することができます。歩きながらの瞑想もやはり抵抗することです。軍備の拡大をとめたいなら、抵抗することが必要です。そうしたいという強い願望があれば、誰にでも、これができます。どんな子供にもできます。歩いてする瞑想は、すばらしい実践です。仏教は、人間社会に積極的に参加しなくてはなりません。日常生活と関わりのない瞑想の実践をしても、いったい何の役に立つのでしょうか」(ティク・ナット・ハン「ビーイング・ピース」より抜粋) 同じく、いま自分たちの見の前にある社会や世界となんの関わりもない、芸術家や音楽家の「世界観」などが、いったい何の役に立つのだろうと最近よく思う。それに、人類学の観点からすると、そもそも「世界観(コスモロジー)」というのは、個人のものではなく、共同体や社会のなかで長い時間をかけて構築され共有されている「コモンズ」なので、「作家の世界観」などといわれると、ついに世界観の分断と私有化、そして商品化がはじまったのかと思ってしまう。もし個人の世界観が役に立つとすれば、せいぜい見世物(スペクタクル)と金儲け(ビジネス)くらいのものだろう。
by illcommonz
| 2012-04-23 03:54
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