はじめに、ふた、ありき
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「人がつながっているという安心感ほど、大切なものはない。一方、孤立して自信を失い、失ったものをお金で埋め合わせようとしているのが、現代の不安な暮らしだ。しかし、つながりをお金で埋められはしない。こればかりは、生身の産物だ。暮らしの中につながりを、なんとかとりもどす道筋を探さなくてはならない。どこにそれが生き残っているのか?その可能性のひとつは「おばさん」と呼ばれる人びとのなかにある。世の中が人とつながる自信をとりもどしてゆく足掛かりは「おばさん力」のなかに見つかると、わたしは思っているのだ。よく言えばおばさんは、人好きでたくましい。見知らぬ人ともすぐつながれる自信を持っている。関係力がおとろえた世の中にあって生き延びている珍種かもしれないが、いまや貴重な持ち物を保存している種族だとも言える。なぜ、人と気軽につきあう自信を持っているおばさんが多いのか?ひとつには、生活のなかでたまたま「家事」を通して、モノや人と直接的につきあう日常があるからだと思う。決して「女だから」ではない。そう、わたしは考える。さまざまな野菜や魚などの食材、水や火、天候や季節、そして生身の子ども。ときに病人。本来、男女子どもの誰もが担うべき「家事」を事実上おばさんたちが止むなく受け持っている。どうして家事や人の世話といえばいつも女なの、納得できない、と折々に思いながらも、つぎつぎにわき出る用事に追われていく。しかし人間、じかにからだでモノとつきあって暮らせば、結果として生きる自信がつく。だから「男のおばさん」ももちろんいる。「じゃりん子チエ」というマンガでは、チエという小学生の女の子が、家事から家の仕事まで取り仕切っている。彼女は「子どものおばさん」だ。なんでもこい、と自信にあふれているが、その自信はからだでモノや人と直接かかわる生活からきてるにちがいない。ところが、すべてを商品化し、暮らしをお金に換えようとする社会は、関係の商品化、つまり、人と人、人とモノの直接関係を奪い取ることによって、人の生きる自信そのものを揺るがせているのだ。子どもの自信の前に、大人の自信喪失こそが問題である。 荒れ果てた社会が広がる。どこから歩き直しはじめたらよいか、見当もつかない。でも、モノや人と直接ふれあう毎日の体験は、積み重なる時間のなかで、人の自信をしずかに培ってゆく。あきらめずにそう信じたい。そして、作ること、工夫すること、協働することの楽しさを分かち合いながら、子どもたちと暮らしてゆきたい。」(下河辺(小澤)牧子「子どもの自信」(「子どもたちのいるところ」より抜粋) ------------------- これから「歩き直し」の時代がはじまる。気がつけば50基以上の原発をゆるしてきてしまった、これまでの歩み方をやめ、同じ失敗を二度とくりかえさないよう、モノや人と直接ふれあう毎日のはじまりである。そこでは、自分で作ること、工夫すること、協働することの楽しさを分かち合いながら、できれば、こういうすてきな「おばさん力」を持った人たちのいるところで暮してみたい。こどもの生きる自信はそこからやってくる、それは、自分が子どものころにそうだったからで、これについてはまた別の機会に書こうと思うが、子どものころ、自分が生まれた小さな町で、工場の廃液による公害問題が起こった。そのとき、町で集会とデモがあり、祖母に手をひかれて行くと、いつもはやさしく愛想のいい近所の八百屋のおばさんやおじさん、肉屋のおばさんやおじさん、魚屋のおばさんやおじさん、靴屋のおばさんやおじさん、おもちゃ屋のおばさんやおじさん、饅頭屋のおばさんやおじさん、花屋のおばさんやおじさん、お寿司のおばさんやおじさん、ガラス屋のおばさんやおじさん、材木屋のおばさんやおじさんたちが、それまで一度も見たことのない表情で、自分たち子どものために怒っていた。聞いたことのない大きな声をあげていた。それをみて、「この町で、もし何かあれば、こうやっておばさんやおじさんたちが自分たち子どもを守ってくれるのだ」ということが分かり、とても安心したのをおぼえている。もちろんその時は、そんな言葉は知らなかったが、「社会」というものの存在をはじめて意識したのはそのときだ。デモに行くといつもそのことを思い出す。日曜の杉並の「祝! 原発ゼロ・パレード」でも、有象無象のおばさんやおじさんたちをみながら、そのことを思い出していた。そして、今度また生まれてくるときは、杉並のような街の子どもになりたいとも思った。 --------------------------------------- [関連] ▼「その時、歴史が動いた 3000万の署名大国を動かす」 「東京・杉並の主婦からはじまった原水爆実験禁止を求める署名活動は、堰を切ったように全国で2008万人が署名、その名簿は重さ125キロになるという空前の平和運動となった。「ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ、ノーモア・ヒバクシャ」、次第に広島・長崎の被爆者と平和運動には共通の接点が形成され、世界に広がった。世界では実に7億の署名が得られた。1955(昭和30)年には第1回の原水爆禁止世界大会が広島で開催された。原水爆禁止運動は、国民的なうねりとなって原爆の被害の実態を明らかにし、被爆者の救済を求め、核廃絶を訴える運動に発展していく。」 そして、歴史はつながった。
by illcommonz
| 2012-05-09 01:48
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