はじめに、ふた、ありき
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▼ジャック・エリュール「テクノロジーの裏切り」 「テクノロジーの社会ではもはや誰も「責任」などとることはできないのです」 (ジャック・エリュール) Q:「未開社会」と「近代社会」との決定的な差異は何でしょうか? レヴィ・ストロース:「民族学者たちが研究する「未開社会」は、私たちの巨大な「近代社会」と比べると、ちょうど「蒸気機関」に対して「時計」がそうであるように、「熱い社会」に比べてすこし「冷たい社会」であるといえます。それは物理学者が「エントロピー」と呼ぶ、あの「混乱」をごくわずかしか生まずにすむ社会であって、どこまでも、はじめの状態のなかに自らを保とうとする傾向をもっています。だから私たちには、そうした社会が「歴史」も「進歩」もないように見えてしまうわけです。一方、「私たちの社会」は、その社会構造という観点からみても、「蒸気機関」に似ています。つまり稼動するためには、ポテンシャル・エネルギーの差を利用するわけで、その差はさまざまな社会的階級の形式によって実現されているのです。このような社会は、その内部に不均衡を作り出してしまうのです。そして、その不均衡を利用して、さらにずっと多くの秩序と同時に、さらにずっとたくさんの「混乱」を、つまり、ずっとたくさんの「エントロピー」を、人びとのあいだの関係という平面の上に生みだしているのです。 (...) いわゆる「未開社会」は、ある点まで「エントロピー」のないシステム、あるいはきわめて「エントロピー」の弱いシステムで、一種の「絶対零度」、物理学上の温度でなく、「歴史的温度の絶対零度」で作動する、と考えることができます。我々の社会のような「歴史的社会」はもっと高い温度をもっているといえます。もっと厳密にいえば、それはそのシステムの内部の温度差、社会的差別に由来するところの、大きな温度差によって存在しているといえます。未開人は、彼らの文化によってほんの少しの秩序しか作りだしません。彼らはその社会のなかで、ほんのわずかのエントロピーしか生みだしません。これらの社会は「平等主義的」で、「機械的な型」に属し、「意見一致の原則」によって律せられています。それと反対に、文明人はその機構や文明の大事業が示しているように、その文化の中で多くの秩序を作り出していますが、社会の中では大量のエントロピーをもまた、作りだしているのです。」(「レヴィ・ストロースとの対話」より) ▼イルコモンズ「原子力資本主義」 「いまのテクノロジーを規定している「西欧近代のテクノロジー」が形をなしはじめたとき、それが「人間性」をこえてしまうことはすでのそのシナリオのなかに書かれていた。テクノロジーは、当初、身体の延長線上にあったとしても、すぐにそれは、身体を持った「人間」のレベルをこえてしまった。この力のもとでは、身体を持った「人間」や有機的な「自然」は解体せざるをえないわけだから、原子力や遺伝子操作やナノテクノロジーの「事故」は、このテクノロジーの側から見れば、全く事故ではないのである。いまわれわれは、原子力という「人間性をこえた」技術を極めて具体的な形で目の当たりにしている。この技術は、もともと「人間性」を越えているのだから、それが「人間」をないがしろにしても不思議ではない。それは「ヒューマニズムをこえて」いるうえに、「近代の人間」にはその受入体制が出来ていないから、その出会いは多くの場合悲惨なものとなる。しかし、この出会いが「楽しい」ものとなるのは、「超人」にとってだけなのだ。ということはつまり、万人が「超人」にならないかぎり、このテクノロジーと人間との出会いは悲惨なものでありつづけるということだ。現実に、「超人」が万人のエートスになるなど不可能なので、それは、非常に矮小化された形で「エリート」や「特権者」として具体化されることになる。実際、いま、原子力という技術はそういう特権者のためのものとして機能しており、その先には、ごくかぎられた特権的集団と廃墟だけ、あるいは数人の「エリート」とアンドロイドの大群がいる「猿の惑星」的世界しかないのである。いま福島原発は、われわれに「心中」を強いている。いずれこの「心中」を審美化し、われわれが素直にこのトレンドに従う方策が練られるだろう。しかし、わたしは、そんな安っぽい「死の美学」の臭気を浴びるのはごめんこうむりたい。テクノロジーとの「心中」はごめんだ。では、なぜ「人間」を「こえる」がよしとされるのか? なぜ「人間」は「人間」を「こえ」なければならないのか? ありあわせの「身体」にとどまることはできないのか?」(粉川哲夫「テクノロジーとの心中」) ▼「福島第一原発ライヴカメラ」
by illcommonz
| 2012-06-13 00:27
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