はじめに、ふた、ありき
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▼「大飯原発再稼働への抗議行動(2)」 ドラムが鳴りだす1分25秒目から急に場の空気が変わり、人の動きが活き活きとしてくるのがよくわかる(後半に御神体とみこしが登場)。このとき実際に現場にいた人たちが書いたものをよむと、あらためてドラムやリズムの大切さがわかる。 「どんなに体力や気力の限界を感じて座り込んでしまっても、ほんのしばらくで取り戻す。仲間の太鼓の音と声。力強くリズミカルな太鼓の音と、みんなの声がなければ、とっくに体力も気力も切れていただろうと思う。どんなに元気と勇気をもらったかわからない。」(花水月*「大飯原発前 見てきたことと思うこと」2012年7月2日より抜粋) 「深夜3時、不安と恐怖とやるせなさで、ここから逃げ出したくてしょうがなくなった僕は踊り始めた。「再稼働反対」と叫びながら踊った。もはや機動隊のことなんてどうでも良かった。どうして抗議行動にリズム隊がかかせないかというと、リズムがあるだけで勇気が出るからだ。楽しくなるからだ。踊って歌いながらの「再稼働反対」はもはや現場で自然と生まれてきた文化だ。」(この道を歩いてる「大飯原発の再稼働について、現場で起きていた本当のこと。」2012年7月1日より抜粋)) 「この集団性のなかで、ドラムとはどんな存在だったのだろうか。スクラムを組んでいる私たちの多くは、背中を機動隊の盾に向けているため、ドラムを叩いている人たちと向かいあう。彼ら・彼女らが衰えることなく、身体全体でドラムを叩き続けている姿を確認するたびに、勇気づけられた。そして、ドラムのリズムとビートが、自らのコールと混じり合って、バイブレーションを生み出す。身体にエネルギーが補充される感覚も何度となく経験した。私だけでなく、他の参加者も同じように語っていた。ドラムや音楽は、「まだまだ続けるぞ!」、「合意してないぞ!」、「再稼働に納得してないぞ!」というコールとして鳴り響いており、「頑張れ!頑張れ!」と呼びかけつづける存在でもあった。また、ドラム隊は、目の前のスクラムと機動隊の攻防を見ながら、強さや速さを自然と変えていたように思う。だから、ドラムや音楽は、表面的な祝祭性を演出する道具ではなかった。フィールドプレーヤーを支えるサポーターではなく、ゲームのサウンドトラックでもない。スクラムの一部であり、非暴力直接行動による不服従の実践のとても重要な一部として加わっている。音楽と実践、ドラムとスクラムに境界はなく、地続きの別の実践、あるいは別の表現として存在していた。」(2012 大飯原発ゲート 占拠・封鎖」「大飯原発ゲート占拠・封鎖を経験して―未完のままの出来事―」2012年7月5日より抜粋) ドラムのリズムやビートが生みだす力とエネルギーについて、大飯の現場にいた人たちが、口をそろえて語っていることは、音楽の理論や理屈を超えた、根源的ななにかを示唆しているように思える。これをよんで思い出したのは、オキュパイ・ウォールストリートが続いていたズコッテイ公園のドラムサークルの最後にいつも、ジョンが云ってた、このことばだった。 「ドラムはこのムーヴメントのパルスだ、パルスが動きをつくりだす。 パルスのないものは死んでいる」 そう、だから、リズムとビートをとめてはいけない。この大飯のパルスを、官邸前広場に転送しよう。原発無用!悪厄退散!万民安泰!安産祈願!子孫繁栄!無病息災!五穀豊穣!踊り念仏、アシッド・マザーズ・テンプル!ええじゃないか!で、「お前の村の踊りを踊れ」(ソウル・フラワー・ユニオン)である。拳をふりかざす必要はない。素手は非暴力のあかし、掌を大きくひらいて、頭の上にかかげよう。にぎりしめた手で手拍子は打てないし、肩も腰もゆれない。官邸前で人びとがあげたあの「声」が、本当にただの「大きな音」にしか聞こえなかったというのなら、今度は官邸の壁がふるえるくらいの「本当に大きな音」をきかせてやろう。そして、自分のあの発言が、この国のデモクラシーを再稼動させてしまったということをとっくり思い知らせてやろう。 --------------------------- [追記] もし岡本太郎が、大飯の抗議の現場に御神体とみこしが出てきたのを、あの世から見ていたら、土着的なエネルギーの爆発に「いいね、血が騒ぐね、「いのちが大事」というんだから、いのちがぱあっとひらくのを表現してみせないとね。憤り、己をつらぬき、表現することこそ、最も純粋な人間のあかしだよ」と賛辞を送ったことだろう。 [関連] ▼パルスとリトルネロ http://illcomm.exblog.jp/16003872/ ▼首相官邸前の「大きな音」とデモクラシーの再稼動 http://illcomm.exblog.jp/16222918/
by illcommonz
| 2012-07-05 22:38
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