はじめに、ふた、ありき
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▼「もうひとつの世界:ダマ・ギフトエコノミー」(2008年) ニッポンの経済界では、「原発を動かさなければ、経済が成り立たない」という云い方がされていますが、本当でしょうか。そこでいう「経済」とは、いったいどの経済のことを指して云っているのでしょう。もしそれが、今からほんの何年か前に、史上空前の大恐慌をひきおこし、いまも世界中を不景気のどん底に追いこんでしまった、あの「狂った資本主義経済」のことなら、そんなもののために原発を動かすというのは、「二重の狂気」というほかありません。そもそも「経済」とはなんでしょう。経済というのは「略語」で、本来の意味はこうです。 【經世濟民】 「經世濟民(けいせいさいみん、経世済民)とは、中国の古典に登場する語で、文字通りには「世を經(おさ)め、民を濟(すく)う」の意。略して「經濟」(経済)ともいうが、主として英語の「economy」の訳語として使われている今日の用法とは異なり、本来はより広く政治・統治・行政全般を指示する語であった。」(ウィキペディアより) 略された「経済」には、文化人類学が重要なものと考える「世間」と「民」のふたつが欠けています。「世」と「民」の字を省いて略すので、おかしなことになるのではないでしょうか。下の図に示したように「原子力資本主義」の経済は、決して世をおさめてもいないし、民をすくってもいません。むしろ逆です。 文化人類学(者)はこう考えます、「経済はひとつではない」と。原発を必要としない「もうひとつの経済」もあるのだと。そのことを知れば、原発に対する考え方もおのずと変わってくるのではないでしょう。今年度の「文化人類学解放講座」の前半では、文明社会が囚われている「発展/成長」と「テクノロジー」の神話を相対化し、脱神話化してきました。後半では、文明社会が至上のものみなしている「市場経済中心主義」を相対化し、脱構築するために、世界の「さまざまな経済」の実例をみてみよう思います。 [映像教材] ▼「クラ・西太平洋の遠洋航海者」(1971年) 「世界観」のある経済 ▼「クラ・神秘の環」(1996年) 贈与経済と貨幣経済の共存 ▼「もうひとつの世界・ダマ」(1996年) 西アフリカのギフトエコノミー ▼「ペイ・イット・フォワード 可能の王国」(2000年) 現代の寓話 ▼「バーニングマン・フェスティヴァル」(2008年) ネバダの奇祭 ▼「サンフランシスコのほんとにほんとのフリーマーケット」(2008年) ▼「幸せの経済学」(2010年) 懐かしい未来 ▼「カーマ・キッチン」(2012年) バークレーのギフトエコノミー トロブリアンド諸島のクラを研究した人類学者のマリノフスキーは、こう書いています。 「こうした遠い国の習慣をみていると、これらの原住民の野心や努力に対するある連帯感が胸のうちにうまれてくるだろう。かつてたどったことのない道にそって、人間のこころが明らかになり、迫ってくるだろう。私たちとは遠くはなれ、不思議な恰好をして現れた人間性を理解することによって、私たち自身にもまた光があてられるだろう。原住民に関する研究で、本当にに私の関心をひくのは、彼らのものごとに対する見方や世界観であり、原住民がそれによって生きていく生活と、そこで呼吸されている現実の息吹きである。あらゆる人間の文化は、その文化をつくる者たちに、一定の「世界観」をあたえ、はっきりとした「人生の意味」を示してくれる。人間の歴史をめぐり、地球の表面をさまよい歩いてみて、私の心を最もとらえ、異文化にならって、異なるタイプの「人間の生」を理解しようという気持ちにならせたのは、人生と世界をさまざまな角度から見る可能性だった。」(B・K・マリノウスキー「西太平洋の遠洋航海者」) こうした遠い国の実例を知ることを通じて、お金以外の「富」や「財産」があるということを「思い出す」ことができれば、おのずと世界の見方や考え方、そして「人生の意味」や「暮らし方」も変わってくるのではないでしょうか。アフリカやニューギニアのような国以外にもギフトエコノミーはあります。たとえば、バークレーの「カーマ・キッチン」がそうです。 ▼「カーマ・キッチン」(2012年) 「アメリカのバークレーにある「カルマキッチン」というレストラン。ここのメニューには値段が記載されていません。食後に手渡される封筒には請求書…ではなく、メッセージの書かれたカードが入っています。 「あなたの勘定は0円です。前にいらした方が寛容な精神で、あなたの食事をプレゼントしていってくれました。この贈り物の輪を、あなたも自分なりのやり方でつないでくださいますように」。 自分の思うままに現金を封筒に入れて、店の一角に置かれた箱に入れて帰ればよい。匿名なので誰がいくら入れたかはわかりません。創設者のパヴィ・メッタさんは、カルマキッチンのコンセプト自体は目新しいものではないと言います。 「東洋西洋、文化宗教を問わず、人はいつの時代も『ご飯を食べにおいでよ』と家に友人や知人を招いて食事をつくってきたでしょう。それが私たちの精神です」。 このレストランは有給スタッフのシェフをのぞいて、厨房手伝い、給仕、皿洗い等すべてボランティアが努めます。彼らの職種は幅広く、高校生・大学生・主婦・CEO・弁護士・医師… レストランにきた人に、このお店のコンセプトを説明した時の反応は様々です。「わあ!素敵」とのってくる人もいれば、半信半疑のままとりあえず食べる人、中にはそのまま帰る人も。大体ほとんどの人が納得して参加するようです。 それでも気になる(笑)のは、みなさんはどのくらい現金を置いていくのでしょうか。「だいたい120~130人で合計が800~1000ドルを超えるぐらい」「ひとりで250ドル置いていった人もいるし、小銭を入れた人もいます。困窮している人は1ドルだって大変でしょう。金額ではないのです」。 初めてのお客さんには、ここが「単純に食べ物を無料でもらう」場所でないことを理解し、「自分も何かしら誰かのためになることをする」という参加精神をもってもらえるよう、丁寧に説明をします。 参加方法は現金だけでなくボランティアとしてもかえってくるそうです。人手が足りないとき、手つだってくれたり、「僕は大工なんだ」と椅子を直してくれたり… また中にはカルマパッチというコーナーがあり、人々が庭でとれた花やレモンと置いいったり、農家が有機野菜を持ってきてくれることもあるそうです。カルマパッチに置かれたものは、もちろん自由に持ち帰ることができます。 こういったレストランは世界中にひろがりつつあります。 それは「商品を対価で支払う」マーケットエコノミーに対して、「自分が受けた善意を次の人に渡す」という考えでギフトエコノミーと呼ばれています。この信頼に基づいたやりとりや助け合いは、昔から地域ではあったものですが、今はこのギフトを贈り受け取る関係が希薄なっていました。しかし、差別なく公開をするオープンソースや「ウィキペディア」のようなオンライコミュニティで実践されているように、資産や知識を独占せず不特定多数の人々にそれを届けるシェアリングは大きなムーブメントとして世界規模で広がりつつあるといえます。 「ここ数年、ギフトエコノミーが勢いを得てきたのは、社会や強欲が孤立や極端な格差状態に疑問を抱き、人々が(マーケットと)違う志向を始めたからだと思います。こんなに不景気になっても無料で食事を提供するの?と言う人もいるけど、こんな時だからこそやる意義があります」。(パヴィさん) 食は生理的にも精神的な意味においても「生きる」ための根源です。それが商品となって取引され、余って捨ててしまう富裕層へ配分される一方、全く行き渡らない子供たちがいる現状は、出生というスタート時点から人間を不平等な環境に追いやる仕掛けであるとしか思えません。最初からエネルギーを奪い取っているのですから、どのような才能を秘めていても伸びることはできない。 資本主義が高度化するにつれて、深さを増していく格差社会。打開する手段として「資本の共有化(社会化)」がありますが、もはやそのような政治的な変革は通用しない気がします。信頼関係を基盤に互いに所有物のシェアリングをおこなう。このギフトエコノミーという古くて新しいシステムは、閉塞感を強める人類を救うカギになるかもしれません。」(「ギフトエコノミーという思想」より抜粋) [講義のキーワード] クラ、ギフト・エコノミー、ディープ・エコノミー、ポトラッチ、コモンズ、フリーウェア、ペイ・フォワード、リナックス、リペアカフェ、地域通貨、バーニングマンなど。
by illcommonz
| 2012-09-26 09:18
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