「
まるで、呪文のように原発推進派から吐き出される言葉がある。
「放射能の直接的な影響で死んだ人は一人もいない」。福島第一原発の事故で放出された大量の放射能の影響が将来どんな形で出るのか、専門家の間でも意見が分かれているが、そんなことは関係ないらしい。逆に想像してみたい。事故がなかったら、どれだけの人が死ななくて済んだか。国会事故調査委員会によると、事故直後の約三週間、避難区域になった二十キロ圏内の病院と介護老人保健施設で、少なくとも六十人が避難後に死亡したという。農業や酪農の先行きを悲観した人、職を失った人、避難生活のストレスでうつ病になった人…。多くの人が自ら命を絶った。その姿は想像できないようだ。将来の原発比率はどうあるべきか。政府主催の意見聴取会(名古屋市)でもこの呪文が飛び出した。個人の意見として「放射能で死んだ人はいない」と言い切ったのは、20~25%案を支持した中部電力の課長だ。」(
東京新聞 社説 2012年7月18日)
もし、「放射能の直接的な影響で死んだ人は一人もいない」などという理屈がまかり通るのだとすれば、よろしい、では、想像してみよう。たとえば、その「中部電力の課長宅」を、「呪殺祈祷僧団」が、毎日、毎朝、毎晩、訪問し続けたとしても、「呪殺の幟旗の直接的な影響で死んだ人は一人もいない」という理由で、それをやめさせたり、とめることはできない、ということになるはずだ。なぜなら、原発推進派が唱える「呪文」の理屈では、「精神的ストレス」の存在が完全に否定され、目にみえないものや、それがもたらす不安やおそれ、子々孫々に与えるかもしれない影響(祟り?)が一切無視されているからだ。文化人類学や民俗学の文献が伝えるように、「呪いには呪いを (呪術には対抗呪術を)」が呪術の基本である。「原発推進派」が「呪文」でくるなら、「反原発派、脱原発派」とともに「呪原発派」(あるいは「原発呪怨派」)がたちあがり、非暴力の神経戦、呪いと恨みのマインド・ウォーズ、原発をめぐるサイコ・ホラーなバトルを展開すべきだろう。