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いる・こもんず 【普通名詞】 01| ありふれて変なもの 02| 扱いにこまる共有物 03| 分けても減らぬもの 04| 存在とは常に複数で他と共にあり、狂えば狂うほど調子がよくなる
はじめに、ふた、ありき

イルコモンズ編
見よ ぼくら
四人称複数
イルコモンズの旗
(Amazon.comで
大絶版廃刊中)
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▼「よみがはずれた部分もあるが、むしろ、はずれてよかったとさえ思っている」
d0017381_0495197.jpg▼小田マサノリ
「議会制民主主義の果ての狂い咲き国会前
サンダーロードを偲ぶ(別称=昭和残響伝)」

ODA MASANORI
"Mourning the Thunder Road to
the Japanese Parliament on the Limit
of Parliamentary Democracy.
(a.k.a. An Ethograph of the Showa Era)"
「10+1」No.33 pp.38-40 2003年 INAX出版

 「平成一五年九月三日の夕刻、東京・永田町の〈国会議事堂〉におおきな雷が落ちた。議事堂の段状の屋根を直撃したその雷の激しい衝撃で、尖搭の外壁の御影石がはじけとび、バケツにたっぷり一杯分もの石の破弾が、激しい雨とともに、衆議院側の中庭の地面の上にふりそそいだという。このニュースを聞いたとき、即座にいくつもの連想と記憶が頭をよぎった。なかんずくそこで砕け散ったのが、慰霊碑などに使われることの多い御影石だっただけに、わけてもまずは、死者たちのことが頭に浮かんだ。ひとりはまず、花森安治のことだった。戦時中、〈旧国会議事堂〉の中にあった大政翼賛会宣伝部の花形部員として、戦意高揚の国策広告を数多く手がけた花森は、一転して戦後は、雑誌『暮しの手帖』の編集長として、「庶民」の暮しをなによりもまず第一にするというラディカルな(というのはつまり、その「根本」にたちもどった)「民主々義」を唱え、平和憲法の保持と武器の廃棄を、戦後かけて訴えつづけた。「ぼくらの暮しと企業の利益とがぶつかったら 企業を倒すということだ ぼくらの暮しと政府の考え方がぶつかったら 政府を倒すということだ それがほんとうの〈民主々義〉だ」。ことに死を前にした晩年の花森は、時の政府に対するきびしい批判の文を数多く書き遺している。「ぼくらにとって〈くに〉とは、ぼくたちの暮しや仕事をじゃまするものでこそあれ、けっして何かの役にたってくれるものではないのである」と花森は云い、「〈くに〉というのは、具体的にいうと政府であり、国会である」と書いた。そしてその文には、花森自身の手になるものと思われる、暗転した議事堂のファサードの写真や、大粒の雨にうたれる議事堂の遠景ショットのほか、翼賛体制時代のグラフィックワークを思わせるような仰角のアングルで撮られた議事堂の写真などが効果的に添えられていた。そんなこともあって、議事堂を襲った落雷は、先の国会で有事法制をあっさり通過させてしまった現政府(小泉政権)と、それをうっかり許してしまった私たちに対する、花森の怒りの雷(いかづち)ではないのかと、そう思ったのである。(中略)

 いうまでもなく、議事堂に雷の一つや二つ落ちたところで、いまの狂いはじめた国の政治は変わったりしない。また議事堂を「墓場」よばわりしたところで、民主主義が成仏できるわけでもない。いや、それどころか、いま、雷に撃たれて目醒めねばならないのは政治家たちではなく、むしろ私たちのほうなのだということを、それは忘れさせてしまいかねない。政治は天から降りてくるものではなく、地から揺り起こしてゆくものだという意識もそこからは生まれてこない。そしてなにより第一に、そうしたスペクタクルや天罰の物語りには、ドゥルーズが生前、何度もカフカをひきながら書いた、地をはいずる「民」たちが登場してこないのである。(中略)

 七〇年代の爆弾闘争を描いた若松孝二の映画『天使の恍惚』に、「十月組」の「金曜日」と呼ばれる女の革命家がでてくる。その映画のラスト近く、羽根のついた黒いドレスを身にまとった彼女は、次のようなモノローグとともに国会議事堂前の道を、ピース缶爆弾を積んだ車をふらふらと走らせてゆく……「いかなければならない、あたしは、あたしは、はるかむこうからやってきたんだ、だから、だから、あたしはむこうまでいかなければならない、いかなければ、いかなければ、いかなければ、最前線へいかなければ」と、そう呟いた瞬間、突然、場面は国会議事堂前から富士山の見える荒野に切り替わり、車が爆発して炎上する。花森が『一銭五厘の旗』を世に問い、ボイスが「民衆投票による直接民主主義」を訴えた、その同じ年(一九七一)の秋に、この脚本を書いた出口出こと、足立正生にとって国会議事堂は、もはや死を賭してぶつかってゆくべき場所や墓場ではなく、その「はるかむこう」にある「最前線」のほうへ突きぬけてゆくための場所でしかなかった。(中略)

 ネグリとハートが語るように、いま、国家の主権を超えたグローバルな組織や企業が私たちの前に新たな「帝国」としてその姿を現わし、私たち個々人の身体とその「生」を直接的に管理し支配しようとしているのであれば、国会議事堂はかつてのような「民」による抵抗の最前線としての意味を失うからだ。現に今、東京のデモはその最前線を、新たな「帝国」の資本が占領する都心の路上にシフトさせた。「大衆とは人民でも社会でもなく、通行人の群れにほかならず、革命的な群集の一団が理想的形態を取るに至るのは、生産現場においてではなく、街路においてである」という、ヴィリリオの言葉や、「デモンストレーションのデモはデモクラシーのデモだ」というフレーズを想わせるデモが、去る一〇月五日の夜、再び渋谷の路上で行なわれた。このサウンドデモに対して公安警察と機動隊は歩道と車道の間の交通を遮断し、デモの隊列を分断するというやり方で「民」の自由な流れを封じこめようとしたが、それでも漏出する「民」の流れをくいとめることはできなかった。おそらくこのようなデモはこれからさらにその前線を移動させ、そのつど強度と配置を変えながら続いてゆくだろう。そして、国家の古い権力があの墓場から目覚めでもしてこない限り(勿論それは大いにありうることだ)、この時代の気象が国会議事堂のほうへ逆行してゆくことはないだろう。永田町の国会議事堂前の道は、「民」たち自らが「発動機」(ヴィリリオ)となり、そして無数の雷鳴となって疾走してゆくサンダーロードではもはやなくなりつつある。

※全文はこちら。
http://db.10plus1.jp/backnumber/article/articleid/1150/

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 いまから9年ほど前、建築批評誌に連載していたエッセイ(「都市ノ民族誌 別称:昭和残響伝」※未刊行)で、グローバリズムの時代における「国会議事堂」の意味について書いたもの。おとといの「国会大包囲」の後に思い出して、読みなおしてみた。2008年のリーマンショックでグローバリズムが失速し、2011年に「アラブの春」が起こり、そして3.11以後の日本の状況と、いま国会議事堂前でリアルタイムで起きていることを考えると、よみがはずれた部分もあるが、むしろ、はずれてよかったとさえ思っている。昨日、書いたように、おとといの国会議事堂前は、「民」たち自らが「発電機」となり、そして無数の雷鳴となって疾走してゆくサンダードラムロードであり、その「はるかむこう」にある「未来」のほうへ突きぬけてゆくための場所として蘇ったのだった。

[関連]
▼「この風景を、なかったことにすることはできない。」(2012年7月30日)
http://illcomm.exblog.jp/16532988/


▼「脱原発の鎖が国会包囲〜議事堂前に解放区!(2012年7月29日)」
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by illcommonz | 2012-08-01 01:00
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